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放送日 平成21年 4月25日(mp3形式音声ファイルはこちら→)
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 放送内容は、著作権の保護を受けますので、個人でお聞きになる以外のご利用は出来ません。
ちょびっと
テーマ: 「山が病んでいるんやないんや!人が病んでいるや!」
概 要: 山や木や森と人との関係について京都市産業観光局林業振興課 高橋武博課長にお話を聞きました。
出演者:
高:高橋 武博氏 京都市産業観光局 林業振興課長
絹:絹川 雅則 (公成建設株式会社)
ちょびっと
 放送内容については、無断使用を禁止させていただきます。この件についてのご連絡はこちらまで。
絹: “まちづくり”チョビット推進室!
Give me thirty minutes,I will show you the frontline of “まちづくり” and “まちづくり” people in KYOTO.
************************************************************************
絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た京都の元気なまちづくり人の紹介や、その活動の最前線をご紹介しております。
いつものように番組のお相手は、当まちづくりチョビット推進室室長 絹川がお送りいたします。
本日のゲストは、京都市の産業観光局林業振興課高橋武博さんをお迎えしております。
高: 皆さん、おはようございます。
今、ご紹介頂きました京都市の林業を担当しております高橋でございます。
絹: 高橋さんどうぞよろしくお願いいたします。
高: よろしくお願いいたします。

●はじまりは出前トークでした
 絹: そして今日の番組のテーマですけれども・・・これは高橋さんのお言葉でもあります・・・「山が病んでいるんやないんや!人が病んでいるや!」と題してお送りいたします。
そして今日のゲストである高橋武博さんのプロフィール紹介に代えまして、私との出会いをちょっとお話させてください。

最初の出会いというのがなんだったのか、ちょっと忘れてしまいましたが(笑)、最近京都の『遊子庵』という町家で、夜、ある勉強会がありました。
『京都市未来まちづくり100人委員会』のなかで『山紫水明チーム』というチームがあります。
山だとか森だとか木だとか水などに興味を持って、京都市への提言や自分たちでできる活動を何とかしていこうという人たちですけれども、その席に高橋さんが講師として出前トークでいらっしゃいました。
京都市には出前トークという仕組みがあるんです。
一般市民から「こういうことについてご担当の方に教えて頂きたい」とか、「専門家の、あるいは行政職としての情報をいただけませんか」というラブコールをすれば、一定のルールはあるんですが、出てきてくださるというシステムです。
そこで久しぶりに高橋節を聞くことができまして、そして今日の番組作成の運びとなりました。
高橋さんはプロフィール紹介にもありましたように、林業振興、京都の山について大変お詳しい方でございますので、まず山の話、それから「山が病んでいるんやないんや、人の心が病んでいるのかもしれないんや」というところをお話し頂きたいと思います。
まずその皮切りに東山名水ライン、これもこないだの高橋節のなかで非常に印象に残ったお話でしたので、こちらからお願いできますか。

●東山名水ライン
高: 今、絹川さんがおっしゃったように、去年、一昨年くらいから我々のチームのほうで、東山のお寺さん等にもご協力をいただいて、京都伝統文化の森推進事業という事業を展開しております。
この事業は、もう一度人と森の繋がりを復活しよう、それにはまず東山から、京都の景観を支えている山との関わりを持っていこうと色んな事業を始めていくようになったわけです。
そこで山の歴史などを色々調べておりました。
東山というのは、小さい山で、東山の向こうはすぐ山科のまちが広がっております。
比叡山のあたりまで行くと、もっと山深いんですけれども。
その中で色んな文献を調べたり、あるいは現場へ行って現場の様子を見たりしておりましたら、ある一つのことに気がつきました。
まず東山というのは、非常に「名水」と言われる水が多いところだなと。
こんな浅い山でチョロチョロの水なんですが、山から出てくる水が「名水」になっているものが非常に多いということに気がつきました。
昔の絵図なんかを見ておりますと、東山に滝があったというようなのもあるんです。
絹: 絵図といいますと、古地図ということでしょうか?
 高: はい、そうです。
私はその水に非常に興味をひかれまして、例えば上のほうから行きますと、三条通からもうちょっと上のほうの、蹴上げの北側に、「京都のお伊勢さん」と言われる日向大神宮というところがあります。
私もこの事業を始めてから行ったんですが、そこに「朝日の水」と呼ばれている名水があります。
そこから三条通を超えてずっと下がってきますと、知恩院さんのあたりには法然上人ゆかりの「吉水(よしみず)」があります。
それから八坂神社にまいりますと「化粧水」とか、それから八坂神社の本殿の下には底なしの京都水盆に繋がる深井戸があるとか・・・
 絹: 京都の都の下には岩盤があって、へこんであって、ごっつい地下ダムがあるで、とかいうやつですか。
高: そうです。その京都水盆と繋がると言われている井戸があるということです。
それからもう少し南に行きますと更級日記に出てくる「千年涸れていない井戸」というのが出てきます。
これは坂本龍馬の墓の近くのお寺です。
そこから下がっていきますと、清水の「音羽の滝」がありますね。
それからもっと南に下がると泉涌寺さんにも名水があります。
さらにもっと南へ下がると御香水があります。
東山のラインというのは、他にもきっと私が知らない名水と呼ばれているものがたくさんあるかと思うんです。
温泉がわいたという話も出てきていますよね。
ですから名水と東山というのを調べたら非常に面白いなと。
今私は森づくりをやっていますので、この名水と森の今の形態とは、どんなに絡んでいるんだろうと、どんな影響があるんやろうと考え始めたわけです。
森の変遷が水と、つまり昔は滝があった、そのときの森の姿はどうやったんやろうとか、今は滝もなくて、ちょろちょろ水があるわけですが、そういう時と、森の姿と名水の関係というのはどんな風になっているのかということを、学問的に調べる必要があるのではないかと、そんなふうに思っています。
東山は非常に興味深い山ですね。

●人と山との繋がりを断ち切った化石燃料
絹: 「水の探検家」としての高橋さんの一面があぶり出されました。
高: そんなたいそなもんやないですけど(笑)。
昔は人が山に柴刈りに行って、燃料を山に求めていたんですね。
 絹: 若い方、ひょっとしたらわからない方がいらっしゃるかもしれません。
柴刈りと言いましても、芝生を刈ることではないようです。
柴刈りと言いましても、ゴルフをすることではどうもないようです(笑)。
山へ薪炭といいまして、燃料としてのたき付けだとか薪だとか、そんなものを刈りにいかはることです。
 高: 石油が発達して、山に柴を刈りに行く必要がなくなった。炭を作る必要がなくなった。
そこから極端に人は山に入らなくなりました。
人間の生活に石油が入ってきたことによって、山から燃料をとる必要が全くなくなってしまった。
そこで都会の人たちは山との繋がりを断ち切っていった。
途中で色んな変遷はあるんですが、基本的にはそこで、人間と山の関わりというのが極端に減っていった。
里山のほうは特にそうです。
住宅にしても、やはり鉄筋コンクリートとかが増えてきまして、木というものがあまり使われなくなった。
そういう時代が・・・今ちょっと見直されてきていますけど、続いているわけです。
その、人が山に関わらなくなったことよって、山の姿というのは、ものすごく変わってきております。
絹: そうですね。

●山から松が消えた
高: 昔の絵図に出てくるのは、松ばっかりなんですね。
一番始めに出てくるのが松なんですが、その松が今はほとんどなくなってきています。
松食い虫という線虫にやられたこともありましたが、それだけではありません。
平たく言いますと、松という木は、柴刈りをして周辺の木を取らないと育たないものなんですね。
非常に痩せた所にできるのが松でして、今の森に松をちょろっと持っていって、松の苗を植えても松は育ちません。
そういう種類なんです。
 絹: この間、教えていただきましたね。
「落ち葉がたまってたら、松は育たへんで」と。
高: そうです。
松茸を出そうと思ったら、「地がき」と言いまして、落ち葉を全部掃除せなあかんわけです。
地面をかくで「地がき」です。
そうしないと松は育たない。
で、昔は東山の絵図に松がいっぱい出てくるんですね。
ということは「地がき」をして、葉っぱは肥料にする。
そして雑木は燃料としていただく。
若干取りすぎの面はあったかもしれませんが、そういうことで、人は山に木を取りに行って、葉っぱも使って、自然にあるものを使って生活を支えていた。
東山が生活の糧の一つでもあったわけです。
それが石油が入ることによって、全くなくなってしまった。
今は大きな問題がまた出てきております。
 絹: 昔の京都の古い絵図を見ると、東山は松が多かった。
今は、松食い虫のこともあるけど、松が倒れたり枯れたりと。
昔の景観にこだわられる方は松を戻したいと主張される方がおられますけど、高橋さんは「いきなりそこへ行ってもあかんよ」とおっしゃるんですね?
 高: そうです。それは無理ですね。
基本的に松が育つような人の生活というものを、もういっぺん見直すという言い方もできるかと思うんですね。
石油に頼らない、もう一度東山に使わしてもらえるような木を・・・人はやっぱり脱化石燃料ということもありますから、そういうなかで東山を見直すことによって、人の生活を変えなあかんのやないかなと、そんな気がしています。

●『カーボンニュートラル』の意味
 絹: この間、教えて頂いた中で、非常に印象に残っている言葉があります。
「化石燃料って、なんであかんのかな。ちょっと化石燃料に頼りすぎたとこがあるんとちゃうのん?」という話のなかで、
「よう考えてみ。化石燃料は、神さんが地面をつこて、地中に蓋をしはって、封印しはった。その『使うのやめとき』と言うてはるもんを、もう一回わざわざ労力をかけてつこてるやろ。これちょっと考えてみたほうがええんと違うやろか」
みたいなことを、言われた記憶があるんです。
正確ではないかもしれませんが。
高: 自然の生態系というのは、やはりお互いが命がけの支えあいをしているわけです。
今現在ある命の支え合いで完結して、初めて健全な地球というのが維持されていく。
神さんが地下の奥深くに封印されたものを今現在の世の中で燃やして、そこで贅沢な暮らしを謳歌して、そのことによって地球の温暖化というのができてるという見方もできるかと思うんですね。
 絹: それを教えていただいた時に、はじめて僕の中で『カーボンニュートラル』という難しい言葉がやっとわかったんです。
「間伐材だとか、ペレット材だとか、木質バイオマスだとか、炭だとかを使うのは、CO2の増大とカウントしなくていいよ」と、なんで言われていたのか、よくわからなかったんですが、おっしゃっている意味が、「神さんが蓋しはった」というところからやっとわかりました。
木は間伐して薪にしたり、炭にしたり、ペレット燃料にしたりで、刈ったところでまたすぐに・・・
 高: 再生しますから。
絹: 昔の人が東山でおじいちゃんが柴刈りしたはった、地がきしたはったことが継続して起こるならば、それは二酸化炭素を出しても、また吸収して、定着させて、その繰り返しやから『カーボンニュートラル』なんやと。
そこまで言うてもらわへんかったら、『カーボンニュートラル』て横文字言われてもわからへんわと思いましたね。

●「自然を守る」とは罰当たりやないか
高: そうですね。
今の言い方にすると、再生可能エネルギーというのはそういう意味だと思うんです。
やっぱり自然から与えられた物を人間が大事に使う。もったいない。
その命を生かしきるという、そういう姿勢に戻らないといかんのではないかと思うわけです。
「人間が自然をコントロールしている」とか、「自然を守る」というような言い方もよくします。
けれどもそれって、本当にそういう言い方をしていいのだろうかという疑問も私の中にはわいております。
守られているのは人間の方とちゃうかと。
自然を守るなんて、そんな罰当たりなこと言うてもええのやろかと。
人間はもっと山に生きてる木と、あるいは動物たちと、同じ土俵に立って、自然の構成員の一員に戻った時に、初めて見えてくるものがある。
森から学ぶものがある、気づくものがある。
人間がそれに気づきだして初めて、この地球温暖化という問題に正面から取り組めるような感性が、そこで生まれるのではないか。
そんな気がしまして。
 絹: さて、お話は佳境に入ってまいりました。
今おっしゃっていることが、番組のテーマとして取り上げさせていただいた、高橋節、高橋さんの言葉で言う「山が病んでいるんやないんや、人が病んでいるんや」というところに入って参ります。
僕みたいな一般人は、山が病んでいるというふうにすぐに思ってしまいます。
建設屋としての私は、何年か前、京都府北部で土石流災害があった時、川の氾濫や決壊があった災害現場に入りました。
私の会社の車も一台ぺしゃんこになりましたし、うちのスタッフもすんでの所で逃げ出したということもあります。
で、山の中に入りますと、本当に山が荒れてる、病んでる。風倒木、それから杉の木が根をはれずに、土石流で流されて民家のどてっ腹に突き刺さっている。
宮津の滝場地区というところに入った時には、ぴかぴかの新築の家の、二階はぴかぴかやけど、下は泥まみれでかわいそうな状態になっている。
そんなのを見てしまうと「山がおかしいんや、山が病んでいるんや」と、ついつい思ってしまうんですね。
だけど「考えてみ。山が病んでいるのか」というのが、高橋さんの問題意識なんですね。

●便利な生活と引き替えに、人間がなくしたもの
高: はい。人間というのは、たかが80年くらいしか生きられません。
自然というのは何十億年という桁違いのスパンで構成していくわけですね。
今、病んでいるように感じる山は確かにあるかもしれません。
それは病んでいる部分もあるのでしょう。
けれども自然というのは、何億年、何十億年かけて、そんなことくらいはちゃんと回復をしていきます。
アイヌの語り部の方が「今、自然というのは、あるべき姿をしているんや」とおっしゃっていたのを聞いたことがあります。
自然はちゃんと回復します。
人間なんていなくても、人間がいない生態系をちゃんとつくり上げていきます。
それはもう永い永い歴史をかけてつくり上げていく。
そのなかで人間が生かされている。
そのちょっとしたことが人間にとって都合の悪いような状況になってきた時に、人間はそれを「山が病んでいる」と言うてるだけの話とちゃうかと。
それよりも大事なのは、『人間だけが自然をコントロールできる』というような感性でいると、自然の移ろいや人間自体の自然との関わりを断ち切った時に、便利な便利な世の中で生活している人間自体の五感というんでしょうか、自然を感じる能力、他の命のお陰様などということを感じる能力が失せてしまう。
何を与えられてもそれを幸せに感じることができない。
あるいは動物みたいなものすごい第六感を本当は人間も持っているのかもしれない。
でもあまりにもこういう楽に生きられる世の中で、山との繋がり、自然との繋がりを断ち切った世の中で生きている人間は、五感や感性、もっと言うなら幸せを感じる能力というのが、ものすごく退化をしていっているのではないか。
だから何を与えられてもそのことを幸せに感じて生きることができない。
そんなふうになっている人間の姿が、今の環境問題を起こしているのではないか。
自然を変えるのではなく、まず人間が変わって、人の暮らし方を変えなあかんのとちゃうかと、私個人としてはそんな思いで東山の森づくりに取り組んでいるんです。
絹: 高橋さんの言葉を私なりに・・・。
たぶん教えていただいたことだと思いますけど。
「かがり火で月を愛でる。そういう時を戻したい。旧暦都市に京都は戻れたらええのになあ。月夜の晩は電気を消そう。闇を否定せんとこう。」と。
「五感を断ち切ったことで、山が病んでいるんじゃなくて、人間が病んでいる可能性が高い」と、森林を守るお仕事をされていて感じるとおっしゃってます。
そこで私は高橋さんの言葉に上塗りしまして、『五感奪還都市』という言葉を提出いたしました。
五感を取り戻す都市でありたいねということであります。

そして、これも高橋さんから教えていただいたことですが、東山で松食い虫ではなくて、何虫でしたっけ?

●カシノナガキクイムシが山を荒らす
 高: カシノナガキクイムシですね。
絹: カシノナガキクイムシについて、もう少しコメントいただけますでしょうか。
 高: はい、カシノナガキクイムシは、楢とか樫の大木にだけついて、昔はそれは人間が薪炭に使っていたものです。
そういう人間が入らなくなった山の、人間が昔使っていた木を今、枯らし始めている。
外来種ではなく、元々いた虫です。
それが今大問題になっているんです。
 絹: そればっかり選んで倒すと。
高: そうです。
太いものだけを選んで倒すんです。
もし人間が使っていたら、こういう虫も大発生ということはなかったのではないかと、そんな気もいたします。
 絹: そのカシノナガキクイムシで枯れた木がぎょうさんあるそうですね。
高: そうなんです。それを何とか有効に使いたいんです。
絹: で、高橋さんは、「この倒した木をどううまいこと使たらええのか、知恵をよこせ」と、おっしゃっています。

●『木の文化を大切にするまち・京都』市民会議発足
高: ありがとうございます(笑)。
先ほどの話なんですけど、法然上人の今度、八百年祭がありますよね。
その法然上人が詠んだ歌に、「月影の至らぬ里はなけれども、ながむる人の心にぞすむ」という有名なものがあります。
要するに、月の光は万人に降っているのだけれども、その月の光を「ああ、ええなあ」と思って眺めた人にだけ、そういう心を持った人にだけ、月の良さがわかる。
そういうような感性を、これは京都から取りも出すべきではないかと。
もちろん法然上人の歌にはもっと深い意味はあるんでしょうが、私はそんなふうに受け止めまして、京都からやっぱり、暗闇は暗闇として、否定をするのではなく、それを受け入れるような生活をする、そういう人間の感性というものがこれから本当に必要になってくるのではないか。
それを森づくりを通じて、私は市民の皆さんに訴えることができないだろうか?感じていただくことができないだろうか?と。
そうすることが京都が本当にいい町になってくる、日本の文化の中心都市になってくる、そういうことではないかなという思いを持っております。
今、京都市のほうでも『木の文化を大切にするまち・京都』市民会議というのが、この一月に発足いたしました。
環境モデル都市ということで、全国の13の都市の一つになったわけなんですが、その中のシンボルのプロジェクトとして、『木の文化を大切にするまち・京都』をつくりあげようということで、市民の皆様や先生方も入っていただいて、今、私が申し上げたような事も考えて、木の文化というのをテーマに、もう一度人の暮らしを考え直そう、まちづくりを考え直そうというような市民会議も生まれてきております。
その中で私も微力ながら何かのお役に立たせていただければと、そんなことを考えております。
非常にわくわくしております。
絹: ありがとうございます。

時間が経つのは早いもので、もう終わりの時間が来てしまうんですが、今の高橋節、皆さんはどうお聞きになったでしょうか。
京都市では出前トークという仕組みを通じて、お申し出いただいた方に、こういう高橋さんのような、森と木と、山紫水明に関わる分野で、例えば「『木の文化を大切にするまち・京都』市民会議で、今どんなことをやっているんですか」、「森と緑のプロジェクトはどんなんですか」、「東山で抜倒木の再利用のアイデアについて話し合いたいんですが、どうしたらいいですか」というようなことがありましたら、是非京都市の・・・これはどういう部署に行けばいいですか?
 高: 私どもの林業振興課のほうへお越しいただければ結構でございますので。
 絹: あの、是非、「林業振興課に高橋さんという変わった人がいるでしょう」とお電話ください(笑)。
高: ありがとうございます(笑)。
絹: こんな方がおられます。
山が病んでいるのではなくて、ひょっとしたら私たちのある部分、五感が、感性が、退化しているのではないかという風に思う部分も、是非見直していただけたらと思います。
これからもこういう番組をお送りしますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 高: こちらこそ、今日はどうもありがとうございました。
 絹: ありがとうございました。
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