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放送日 平成19年4月4日(mp3形式音声ファイルはこちら→)
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 放送内容は、著作権の保護を受けますので、個人でお聞きになる以外のご利用は出来ません。
ちょびっと
タイトル: 「京都大原野 よみがえる荒廃田とコッコちゃんの物語」
テーマ: NPO法人京都土の塾副理事長森川惠子氏に、洛西の荒廃田とNPO法人「京都土の塾」について語っていただきました。
出演者:
森:森川惠子氏  NPO法人 京都土の塾 副理事長
絹:絹川 雅則 (公成建設株式会社)
ちょびっと
 放送内容については、無断使用を禁止させていただきます。この件についてのご連絡はこちらまで。
絹: :“まちづくり”チョビット推進室!
Give me thirty minutes,I will show you the frontline of “まちづくり” and “まちづくり” people in KYOTO.
************************************************************************
絹: みなさま、こんにちは。「まちづくりチョビット推進室」の時間がやってまいりました。この番組は、地元の建設屋の目から見た、京都の元気なまちづくり人の紹介や、その最前線をご紹介しております。
さて、本日のゲストは、「NPO法人 京都土の塾」の副理事長であられます、森川惠子さんにお越しいただきました。
森川さん、よろしくお願いします。
森: よろしくお願いいたします。森川惠子です。
絹: 本日の番組タイトルは「京都大原野 よみがえる荒廃田とコッコちゃんの物語」と題してお送りいたします。
まず今日のゲストの、森川惠子さんのプロフィールを簡単に紹介させていただきます。
皆さんに一番なじみが深いかなと思うのは、京都リビング新聞社・・・フリーペーパーの走りともいうべき新聞ですが、森川さんは、その編集長を長らくお勤めでした。
そして現在では、先程申し上げた“NPO法人京都土の塾”の副理事長、それから『おとなの寺子屋』事務局長、さらには京都の嵯峨鳥居本の町並み保存地区にある町並み保存館で、炉辺談義のコーディネートをされていたり、それから産業カウンセラーでもあるとのことで、非常にたくさんの肩書きをお持ちです。
皆さん、”京都土の塾”というのをお聞きになったことがありますか?
私は実は最近まで知らなかったのですが、どうも大原野のあたりにすごいことをしているNPO法人があるというニュースをキャッチいたしまして、その登録人数が、なんと総勢300人プラスアルファということですが・・・
まず森川さん“土の塾”についてお教えいただけますか。

●“京都土の塾”とは●
森: “土の塾”というのは正式には”京都土の塾”と申します。
八田逸三(はちだいつぞう)さんという方が塾長をなさっているのですが、始まったのは2000年の初夏の頃からです。
八田さんは市の農政畑をずっと歩んでこられた方で、定年退職されたのですが、やはり日本の“食”の問題を根本から考えたいと、二年間農家に住み込まれたんです。
そこで自分でも田を耕しながら、土と向き合って、食の問題をずっと考えられた。
その結果、やはり実践して何かをやろうと思われたんです。
京都の大原野には、耕し手がなくなった荒廃田がいっぱいあるものですから、そこを農場にして、耕す人が自ら汗しながら、機械なんかを使わずに、農薬なんかも使わずに(虫なんかも殺虫剤なんかは使わずに手でとって)、喜怒哀楽を色々と表しながら、土と向き合って、作物を作ろうと。それは自分の命が、作物に実っていくような、そんな作りかたをする作物なんですけれども、そういう作物を作って、ただ作っただけではなくて、大豆を作ったら豆腐を作ったり、お味噌を作ったり、納豆を作ったりみたいに、皆で食べるところまで一緒にやろうという塾を開かれたんです。
そういうことに皆が賛同したわけです。
賛同するのも面白いんですけれど、誰か一人がふらっと「何か面白いことをやってそう」という感じで来ますでしょう?
そうすると一緒にじっと草取りをしたり、種を植えたり一緒にやるんですけど、そうすると次に来る時は、友達を連れてきたり、家族を連れてきたり、だんだん人数が増えてくるんです。
そんなことで現在は300人ほど会員がいるんです。
絹: 思い出しました。
森川さんと初めてお会いしたのは“堀川牛蒡を食べる会”という集まりだったと思います。
京都市の中央卸売市場にタッチをされていた高橋さん(前職ですけれども)に「絹川くん、堀川牛蒡を食べるんやけど、一緒に食べへんか」と誘われて行ったら森川さんもおられたということでしたよね。
森: そうですね。

●八田逸三というひと●
絹: “NPO法人京都土の塾”の塾長である八田さんは京都市の行政マンのOBであるとお聞きしております。
非常に変わったと申しますか、行政マンらしからぬ行政マンと言いますか、失礼だったらごめんなさい(笑)「変人だ」と御自分でおっしゃっていましたが、最後の職は中央卸売市場の場長さんをお勤めになっていたと聞きましたが。
森: はい、そのように。はい。
絹: そのあと普通は転職といいますか、関連のところに再就職されたりするのですが、ピアノデュオで有名なザイラーさんという、半農半音楽家の御夫婦が日吉町の美山にいらっしゃいますが、そのご近所に住まわれて、二年間晴耕雨読の生活を積まれて「仙人をやった」とおっしゃっていましたけれども。
森: そうです(笑)。仙人をなさったんです…。はい。
絹: そのあと、大原野の荒廃田に戻ってこられた。

●荒廃田に斧を入れる●
絹:
ここに先日いただきました2001年10月28日付の“京都土の塾”、荒廃田人力開墾プロジェクトの宣言文書がありますので、ちょっと読ませていただきます。
と、こうなっております。
森: はい、そうです。
2001年の10月に開墾を始めたんですけど、その時なんかねえ、もう真っ暗なんです、木が生い茂っていて。
昔は棚田だったんです。
先祖が汗水流して山の傾斜に、狭い狭い棚田をずっとっていたんですが、それが放り出していると瞬く間に、木に覆われてしまうんですね。
もう頭を突っ込んだら、空が見えないくらい木が生い茂っていた所なんです。
絹: 元は水田だったところが、放っておくとそうなっちゃうんですか?
森: そうなっちゃうんです。もうそこを篠竹(しのだけ)もはびこっていて、かきわけかきわけ、だんだんに切り開いていくんです。
本当に機械を使いませんから、鉈であり、斧であり、スコップであり、もう色々と駆使しながら切り開いていくんです。
そうすると、だんだんだんだん空が見えるようになってくるんですよ。
絹: うーん。2001年にそういうことが開始されていたというのを知りませんでしたし、大原野にそういう荒廃田があるということも知りませんでした。
京都縦貫道がすぐそばを通っていますよね、僕も気がつかずに車を運転したりしていましたけれども。
理事長の八田さんはこういう宣言文を書かれて、その時は一人で始められたんでしょうか、何人かのお仲間はおられたのですか。
森: はい。最初は八田さんがそういうことを始められるということを、周りに言ったものですから、そういう趣旨に賛同して、“豆腐を作って大豆を食おう会”というのが、2000年の初夏にスタートしたんですね。そうしたら、先程申したように、どんどん人が広がってきたんです。

●五感がよみがえるということ●
絹: 実は私は恥ずかしながら、その”土の塾”の存在を知ってから、一度見に行きたい、参加したいと思いながらまだ現地へ直接おじゃまはしておりません。
映像で見たり、自分の知り合いの知り合いが”土の塾”メンバーだったという、そのまた知り合いも”土の塾”メンバーだったという、そんな偶然が重なっておりますけれども(笑)。
そういう人からの、本当にまた聞き情報なんですけれども…。ある時、大きな商社に勤めるビジネス戦士が、何か非常に疲れて会社に行けなくなって、”土の塾”にわらじを脱がれた。
それが作物をつくっているうちに、「ちょっと会社に行ってみるわ」と職場に戻っていかれたというエピソードを、ちらっと聞きました。
森: ええ、それがね、その時にその彼が言ってくださった言葉というのが、私はすごい良い言葉だなと思ったんです。その方は鎌で、もう斜面一面に生えた草をずっと刈ってくださったんですが、一日中刈ってたんですね。そして最後、その方が帰る時に「僕はなんだか獰猛な心が芽生えてきました」って、塾長におっしゃったんです。最初来られた時は、本当になんだか苦しそうだなという感じで、まあ植物で言うと、水分をなくして萎れているという感じの御様子だったんですけど。
絹: いわゆる抑うつ状態のような感じだったのでしょうね。
森: ええ、とってもしんどい思いをされていると。それが帰る時にはなんだか「獰猛な気分」って、いいでしょう?
人間がやっぱりとっても活気に満ちて、本当に生物としての獰猛さを取り戻したとおっしゃっていただいて、そういうものなんだなと思ったんです。
“土の塾”の面白さ、良さっていうものが。
他の人からもね、五感が蘇ってくるって。私も思うんですけれども。そう思うんですよ。
感性が蘇ってくる。
例えば人を愛する心を忘れた人が、植物と接しているうちに、人も恋しくなったり、嗅覚も触覚も、全部活き活きして鋭敏になってくるんですね。
ですから獰猛な心もそういう中で取り戻されたのだと思いますよ。


●「コッコちゃんの物語」●
絹: それはすごいエピソードだなと思って、”土の塾”というキイワードが頭に残っていたところ、森川さんに出会ったわけです。
“土の塾”では、活動がヘビーな人では毎日という人もいたり、月に一度くらいという人もいて、いろんな参加形態が許されるんだよみたいなこともおっしゃっていましたし。
それから八田塾長がつい最近「コッコちゃんの物語」という絵本を出版されるというニュースを、森川さんからいただいて、その出版記念会に是非いらっしゃいと誘ってくださったんですよね。
その場で森川さんはこの「コッコちゃんの物語」を全部朗読されたんです。
森: はい、そうでした。
絹: 絵本の絵は八田さんのお嬢さんですか。
森: いえ、息子さんの奥さんです。
絹: 義理の娘さんが描かれた、それがスライドで上映されているのに、生のギターでBGMをつけられて、森川さんがずっと朗読された。
本当はこの番組、時間がたくさんあったら朗読していただきたいのですが、ちょっと時間がないので、「コッコちゃんの物語」への八田さんの思いをちょっと触れていただけませんか?
森: はい。わかりました。
この「コッコちゃんの物語」は、八田塾長が畑の広場にいる時に、ほんの一晩のうちに思い浮かんできた物語なんだそうです。
鳥インフルエンザが、数年前猛威を奮っていた時に(今年も去年も取りざたされていますけれども)、養鶏場の御主人夫妻が亡くなられたことがありましたけれども・・・
絹: 自ら命を絶たれた悲しい事件ですね。
森: ええ、そのことがあって、直後にこの物語が浮かんできたんですが、かいつまんでだけ申し上げます。
昔むかし、鶏の雌鳥さん(コッコちゃん)といずみちゃんというお嬢さんがとても仲良く暮らしていました。
ところが、いずみちゃんが病気がちだったものですから、コッコちゃんは自分が産んだ卵を食べたら元気になるよと思って、一生懸命卵を産むように努力するんです。
そして自分の産んだ卵をいずみちゃんに食べてもらうようになって、いずみちゃんは元気になっていったんだけれど・・・というところで前半の物語が終わるんです。
絹: そうですね。いずみちゃんという女の子が病弱だったんですね。
それでコッコちゃんとは仲良しで、コッコちゃんは自分で卵を産んで元気になってもらおうとしたんだけど、自分で産んだ卵をあげるのは、ある意味辛いことでもあったんですね。
森: ええ、ええ。いずみちゃんも辞退したんだけれども、でもコッコちゃんの気持ちを汲んで卵をいただくようになりました。
そこで本当にいずみちゃんは元気になっていったんですけれど(あとで聞いてらっしゃる皆さんにも読んでいただきたいんですけれども)、旅の若者が通りかかって、「そんなに良い卵だったら、僕も皆に広めたいな」と思って、そのコッコちゃんを誘拐してさらっていってしまうんです。
そこから物語の次の展開が始まるんですけれども。
悲しい物語ではあるんですけど、命というのはどういうものなのか。
私たちが食べ物として命を、他の植物なり動物なりの命を頂きながら、私たちは生きているんだみたいな、そんなメッセージも込められている絵本だと思うんですよ。
絹: そうですね。子どものための絵本というよりは、大人のための絵本という非常に重たい部分のある絵本だと思いました。
この物語を読ませていただいて、八田逸三さん著、文芸社からでておりますけれども、感動というにはちょっと重たい、感動を超えた思いを経験させていただきました。
もしよければ、その続きをお願いします。

●“根をはる”ということ●
森:
はい。この辺も是非読んでいただきたいのですが、”土の塾”の様子をちょっと詩にまとめてみましたので、ちょっと読ませていただきます。
「ねっこ」

伯父の家に育った一人っ子。
早々に学生結婚して
5年間海外に住んで
半年ごとに引越しをして
子どももないまま
夫との二人暮らし。
旅行かばん一つで
世界中どこにでも行かれる、住むことができると
いきがって暮らしていました。
仕事もした。
のめりこんでどんどん忙しくなって、
そこそこ自分の場所も得た。
でも、ふと、いつまでたっても
旅行かばん一つで、世界中どこにでも行かれる、
住むことができる自分であることに気づいたのです。
どこにでも、ひょいひょいと行かれるということは、
何のしがらみもないということ。
土地にも人にも。
これって、ねっこがないってこと。
その場で、どんなにバタバタ生きていても
わたしには、ねっこがない。
身軽な暮らしを気楽だと思っていたけれど、
本当は強がりの負け惜しみ。
生まれ育った地域
親、兄弟や、家族のしがらみ、
どうにも身動きできない、
動かない暮らしに憧れている自分に気づきました。
そんな時出会ったのが“京都土の塾”。
初めて大豆の草をとり。
草をとるということは、
気になる大豆が気持ちよく過ごせるように
大豆に心をかけてやって、
草に少しの間遠慮してもらうことなんだよ。
という言葉を聞いた時、
自分のなかに、ふっと、ねっこの兆しが芽生えたのを感じたのです。
ここに、私の心を待っているものがいる。
私の心を待っているもののいる幸せを感じた時、
いつのまにか心を待っているものから、心をもらっていることに気づきました。
長い間、ほったらかしにされていた土につるはしを入れる時、
石をおこし、竹の根をとり、苗を植える時。
炎天下、全身汗まみれになって、田の草取りをする時、
どろんこのサトイモ畑で足をとられて、尻餅をつく時、
畑の仲間と大笑いしながら、大きな握り飯を食べる時、
私のねっこが、大原野の大地で根を張っていくのです。
大原野の大地は決して動かない。
ようやく見つけた私のねっこです。
ようやく見つけた私の居場所です。
絹: ありがとうございました。今の詩から皆さんに“土の塾”のことを想像していただけたかと思います。
まだまだ語っていただきたいエピソードも他に用意していたのですが、やはりこの話題も大きすぎて、とても30分には入りきりません。
ですからまた機会を設けて、第二段、第三段とお伝えしていきたいと思います。
森: はい。よろしくお願いいたします。

●“まちづくり”の視点から●
絹: この番組のリスナーの皆さんは、この番組は“まちづくり”ちょびっと推進室なのに、なぜ今日、“土の塾”なの?と疑問に思ってられる方がおられるかもしれません。
京都の景観条例が最近とりざたされていますが、“まちづくり”って言うのはそういう景観だとか、ハードだとか、建物を造ったり、住まい方といったことからスタートして、この番組を始めましたが、“まちづくり”ということを考えているうちに、“まちづくり”と人づくり、人と人とのあり方、あるいは人と自然のあり方というのとは無関係ではいられないというのが、最近の私の思いです。
中心市街地の問題もありますけれども、里山、それから荒廃田、それからまた語っていただきますけれども、荒廃していく竹林、いろんな問題がまだまだ“まちづくり”という言葉の中でこれから考えていかねばならないことだなと今思っております。

それでは皆さん、今日のお話はいかがだったでしょうか。
まだまだ捨てたもんじゃない京都、という切り口もこの番組の大事なところでありますけれども、“京都土の塾”に連なられる300人プラスアルファ、ますます増えていっておられます。
機会がありましたらちょっとチェックをしていただいたらいかがでしょうか。ホームページもありますよね。
森: 京都“土の塾”で検索していただいたら、それで出てまいります。
絹: 最後に告知があります。
二ヶ月前のこの番組のゲストの“京都モデルフォレスト協会”からの告知です。
“新緑祭・新風館”4月27日金曜日、午後5時から7時まで、新風館中庭ホールで“新緑祭”をなさいます。
そこではオープニングコンサートとして、間伐材でつくったアルプホルンで、中川重年さんという京都学園大学の環境問題を教えておられる教授が演奏されます。
それから狂言もあります。茂山茂さん他の方々による“ふくろう”というちょっとシュールな狂言だそうです。
“京都モデルフォレスト協会”は、京都の森林を皆で守り育てていくためのモデルフォレスト運動を推進している協会であります。
ハープやホルンの音色、それから森のメッセージを身近に感じていただこう、それから募金活動もしていますので、4月27日金曜日、午後5時から7時まで、時間と興味をお持ちの方は新風館の中庭へ集まってください。

そろそろエンディングです。
これからも地元京都のまちづくり最前線の情報等をお送りしたいと思っております。
この番組は心を建てる公成建設の協力でお送りいたしました。
それから“まちづくり”ちょびっと推進室でグーグル検索などをしていただいたら、今までのゲストが二十数名、この小さなスタジオで語ってくださった内容が、データベース化しておりますのでアクセスしてください。
京都の人でなくても、世界中の人がアクセスできるよう、音声データとテキストデータが用意されています。
それでは皆さん、またお耳にかかれることを楽しみにしております。
森川さんどうもありがとうございました。
森: どうもありがとうございました。
絹: ではまた、この番組の第二段、第三段、お楽しみに。
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