目次へ戻る  
放送日 平成26年6月21日(mp3形式音声ファイルはこちら→) 
他の放送    あ   他の放送
2004年 6/24 7/25 8/29 9/26 10/31 11/30
2005年 1/5 1/12 4/6 5/4 6/1 7/6 8/3 8/17 10/5 11/2 12/2
2006年 1/25 2/22 4/5 5/10 6/7 8/2 9/6 11/1 12/6
2007年 1/10 2/7 3/7 4/4 5/2 6/6 7/4 8/1 11/7 12/5
2008年 1/9 2/6 3/5 4/2 5/7 6/4 7/2 8/6 9/4 10/1 11/5 12/3
2009年 1/7 4/25 6/13 7/11 9/5 10/10 11/14 12/12
2010年 1/9 2/13 3/13 4/17 5/15 6/19 7/17 8/21 9/18 10/23 12/18
2011年 1/22 2/26 3/24 5/28 6/18 7/9 8/20 9/10 10/15 11/12 12/10
2012年 1/7 2/11 3/10 4/14 5/19 6/16 7/14 8/11 9/16 10/21 11/18 12/23
2013年 2/17 3/17 4/27 5/18 6/22 8/18 9/21 11/16 12/21
2014年 2/22 3/22 6/21 7/19 9/6 9/20 11/15 12/20  
2015年 1/17 2/21 3/21 4/25 5/30 7/18 9/26 10/17 11/21
    

 放送内容は、著作権の保護を受けますので、個人でお聞きになる以外のご利用は出来ません。

タイトル: このまちのためにできること~先斗町まちづくり協議会ってご存じですか?
概要: 先斗町は変わってしまった、昔が良かった、普通の繁華街になってしまった等の声に危機感を感じ、5年前に立ち上がった先斗町まちづくり協議会について、協議会副会長と事務局長にお話を聞かせていただきました。

左から、金田氏、神戸氏、宗野氏
出演者: 金:金田 祐一氏 先斗町まちづくり協議会 副会長
神:神戸 啓(かんべ あきら)氏 先斗町まちづくり協議会 事務局長
宗:宗野 ふもと氏 京都市景観・まちづくりセンター(文化人類学者)
絹:絹川 雅則 (公成建設株式会社)
   放送内容については、無断使用を禁止させていただきます。この件についてのご連絡はこちらまで。
絹: まちづくりチョビット推進室!
Give me thirty minutes,I will show you the frontline of “まちづくり” and “まちづくり” people in KYOTO.
************************************************************************
絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た京都の元気なまちづくりびとの紹介や、その活動の最前線をご紹介しております。
いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。

■あの先斗町からおいでいただきました
絹: さて、本日のゲストは男性お二方をお迎えしております。
先斗町まちづくり協議会から副会長の金田祐一さん、よろしくお願いします。
金: よろしくお願いいたします。
絹: そして事務局長の神戸啓(かんべ あきら)さん、よろしくお願いします。
神: よろしくお願いいたします。
絹: そして我らがまちセン、京都市景観まちづくりセンターから、宗野ふもとさんです。
宗: はい、まちセンの宗野です。よろしくお願いします。
絹: 宗野さんも初登場ですか?
宗: はい、初登場です。緊張しています!
絹: お気楽にどうぞ。
それではお三方、よろしくお願いします。
さて、本日のタイトルです。
「このまちのためにできること~先斗町まちづくり協議会って、ご存じですか?」と題してお送りいたします。

■第一章  先斗町まちづくり協議会とは
 ●いつもの他己紹介から始めましょう
絹: リスナーの皆さん、先斗町は、もちろんご存知ですよね。
ある種あこがれの空間かもしれません。
京都市民にとっても、京都の外の方にとっても、非常に有名な空間だと思われます。
そこで一生懸命、いろんな活動をしておられるお二方。
まず、ゲストの紹介を、進行役の私が手を抜きまして、お二方に他己紹介という形でふってしまおうと思います。
ではまず、神戸啓さん、副会長の金田祐一さんって、どんな方ですか。
神: 今のところ、うちの会は、わりと若い人が副会長をさせてもらっているところがあって、金田さんは一番お兄さん格なんです。
そして一番しゃべりが上手い(笑)。
絹: お兄さん格と言われましても、先ほどのお話では、40代。
神: はい、40代です。
だいたい40前後で、事務方、副会長がいるのですが、一番しゃべりが上手いので、困ると金田さんにとりあえず「お願いします」という感じで、いつもお願いしています。
絹: それでは金田さん、神戸啓さんって、どんな方ですか。
金: そうですね。
うちのまちづくり協議会の事務局の事務局長ということで、この事務局というのが、うちの協議会の心臓部分でございまして、私より若いんですが、すばらしい書類をつくる整理能力から、すごい引出しの数があって、「どんだけ知識が入っているんや」と言うくらいの知識の持ち主でございます。
絹: 先斗町まちづくり協議会の強力な2つのエンジンであるお二方でございます。
そしてもうお1人、宗野ふもとさんは、私がご紹介します。
京都市・景観まちづくりセンターに最近来られました。
宗: はい、4月に来ました。
絹: 景観まちづくりセンターですから、都市計画の専門家かなとか、まちづくりの専門家かなと思っていたら、あにはからんや、経歴を見てびっくり!文化人類学者という変り種です(笑)。
この文化人類学者の宗野ふもとさんの目を通して、先斗町まちづくり協議会が面白いという情報がひそかに入ってきておりますので、今日はそのあたりを紐解いていきたいと思います。

 ●先斗町が変わってしまったねと言われて・・・
絹: それではまず、金田副会長にお願いいたします。先斗町まちづくり協議会の沿革と言いますと、カタイですね。いつごろスタートして、どんな風にここ数年やっておられたのか、ひょっとして御存知のないリスナーの方々に、さらっと御説明いただけますでしょうか。
金: ちょうど5年前になるのですが、先斗町に来られる観光客の方を始め、様々な方から「先斗町が変わったね。昔は良かったけどね」というお声を頂いて、「先斗町が単なる繁華街になっているんじゃないか」というお話をよく聞くようになりました。
そのなかで、我々も地元として何か対策を打って行かなければならないということで、立誠自治連合会という自治会があるのですが、その下部組織のまちづくり委員会というところからスタートしまして、7つの町内会を一括りにした形で、個々に参加できるという会をもち、存在する色んな問題に取り組みを始めてきました。

 ●まちづくり3つの柱
金: 先斗町は、何十年も前に戻すということはまず不可能ですので、では何をしていくのかを考えますと、これ以上悪くしない、今残っている良いものを残していくということに徹底していこうという話になりました。
まちを残していくためには3つポイントがあると思うのですが、1つは今ある景観を阻害しているものを排除する、もう1つはこれから新しくできるものを管理していく、そして良いものを残していく。
この3つができて初めてまちづくりというものができると思うのですが、今までは特に悪いものを排除する、新しいものを管理するというところを中心に動いてきて、これからは良さを残していこうという、今その途中の会になります。
絹: ありがとうございます。
復習させていただきます。先斗町まちづくり協議会は5年前とおっしゃいました。2009年ですね。
立誠自治連合会の下部組織のまちづくり委員会の呼びかけが最初にありました。
橋下町、若松町、材木町、梅之木町、松本町、下樵町、鍋屋町、柏屋町の連結で協力しておられます。
さて、神戸事務局長、今の副会長の言葉に補足するとしたら?

 ●管理ではなく、先斗町を知っていただくということ
神: 補足するところは、特にないのですが、自転車やゴミといった問題は、当然どこでもあるところだと思うのですが、そういうところから、新しく出てくるものを管理するということ(管理するというと大仰なのですが)、平成23年から京都市が施行された地域景観づくり協議会という制度があり、先斗町まちづくり協議会は、その認定を頂いております。
ここで言うところの管理というのは、その地域景観づくり協議会として、新規に出店してこられる、看板をつけられるという方に対して、お話をするということなんです。
ただ「何をせえ」という話ではなく、社長さんに来ていただいて、お話をして、それから行政手続きを進めてくださいというだけなんですが、それだけで管理でもないのですが、良くなるんですね。
絹: 不思議ですね。
金: そうですね。
横着に出店して、とにかく目立つことをしたいと思われる方もいらっしゃるのですが、そうやって意見交換することによって、「先斗町というのは、こういうまちなんだな」ということを理解していただいて、それに合ったお店づくりをしていただけるという意味では、我々としてもこの制度を認定していただいてよかったなと思うところでございます。

 ●先斗町 通景観(看板)への取組み
絹: その象徴的な写真を、先ほど神戸さんから見せていただきました。
今日もわざわざパネルを御用意いただいたのですが、残念ながらラジオですので画像はお見せできませんが、インターネットにウェブ上で公開する時に、併せて使わせていただきたいと思います。
これは先般、5月29日の木曜日、元立誠小学校で展示されたものを、持ってきていただきました。
皆さん、言葉でどれだけ伝わるでしょうか?
今、手元に見せていただいたのは、現在の先斗町、2013年の8月に撮影された、非常に看板も少なく、スカッとしている写真。
それとその対比として、2009年の9月の写真で「ほんまに看板いっぱい、頭の上に出てるわ」というもので、それが明るい時と、夜の暗い時と2通りあって、暗い時のものだけ見ると、先斗町という感じが本当にしないですね。
神: そうですね。えげつないと言うか、何と言うか、やっぱりこの状態でしたね。
金: 本当に、単なる繁華街じゃないかと言われても仕方のない状態でした。
絹: 風情はそれはそれであるんでしょうが、今の姿とはかなり違うなというのは、一目瞭然ですので、またリスナーの皆さんにもどこかでこの比較の写真を見ていただく機会をつくりたいなと思っています。

2013年8月昼

2012年10月昼

2013年7月夜

2012年3月昼

2009年9月夜
各写真はクリックすると大きな画像になります。

 ●先斗町 通景観(ゴミ問題)への取組み
絹: それからもう1つ驚いたのが、ゴミ袋がバババババンと先斗町に並ぶ姿も写真をお撮りになって、展示されておりました。
これは暗いですから、何時ごろなんでしょうかね。

2011年12月
いづもやさん前

2013年10月
いづもやさん前
神: でもこれ、11~12時頃なんです。
絹: お客さんはまだおられる時間ですよね。
神: そうなんです。
お料理屋さんは、お商売が終わられたら、ゴミを出して帰られるというところがあって、ところがお客さんはやっぱり24時間歩かれますので、食べ物屋さんへ行かれてから、バーでも行かれて帰られるという時に、この景色というのは、ちょっと残念ではないかなと。
これも特別なことをしているわけではなく、ゴミを道路に出さない、自分の敷地の中に入れるという・・・(笑)。
絹: 「見えないように。ちょっとだけ気イつけて」と。
神: そうなんです。移動距離にしたら30センチ程度のことなんです。
絹: それともう1つ、当時の困りごととして、客引きさんが結構「うち来てよ、うち来てよ」という感じの人が多かったという、そのことは解決に向かったのでしょうか。
金: これはなかなか難しい問題で、今は取組みの最中という形ですね。

 ●役員構成の工夫―色んな立場の人が一緒に先斗町を考える
絹: そうですか。
先ほどのお話に戻りますけど、先斗町まちづくり協議会、7つの町内会の連結組織、350戸のうちの役員さんが、なんと30人おられると。
その比率が高いことに驚きましたけれども、神戸さんのお言葉によりますと「15メートルに1人、役員がいはるんや」と(笑)。
だから神戸さんや金田副会長がさあっと、歩いて流されると、あっちからもこっちからも声が掛かって、歩けば歩くほど仕事が増えると(笑)。
金: そうですね。
仕事が増えると言うか「今度は何を見に来はったのやろ」と、よくそういった目で見られるんですけど、これは協議会の仕事をやっているから、そういう状態になっているということで、ある意味、浸透しているという部分ではいいのかなと考えています。
絹: で、先ほどのゴミの移動距離は30センチだけれども、見えるようになるのと、見えないようになるのとでは、大きく違いますね。
そのためにまちづくり協議会で、たぶんお二方を含め、役員の方々が心を砕かれたのは、役員のメンバーさんの構成、お茶屋さんの方とお料理屋さんの方と、住人の方とのバランスが見事に取れているという・・・。
金: そうですね。
やはり考え方等、色んな形が違うのですが、やっぱり料理屋さんの立場からの目線と、お茶屋さんの立場からの目線と、住人の方の立場からの目線を一緒に考えていかないと、その3つが共存しているまちでございますので、そこの意見を大切にしたいと考えました。
不公平も出てきてはいけませんので、割合的にも一緒にさせていただいて、色んな形の意見を一緒に考えるという体制になっていますね。

 ●ちょっと変わった体制ですー若い役員が、長老の意見を汲み上げる
絹: 2009年に発足して、5年前のことです。
そして先ほど役員さんの名簿を見せていただいたのですが、副会長さんの年齢が大変若いと。
30~40代の皆さんで、むしろ平理事の皆さんの方が、重たい方がズラッと揃っておられると。
金: そうなんです。
逆に言うと、僕らも理事さんに頭が上がらないような形になっているんですけど、やはり先斗町の方々というのは、色んな形で知識や経験をお持ちの方が多いんです。
ですからそういった方々の意見を、会として吸い上げて、我々副会長3人がそれを取りまとめて行動に移すという形で、ちょっと普通の会の組織のトップダウンとは違うのかもしれません。
ただこれが今、うまいこと円滑に機能しているのではないかというふうに思っています。
絹: 少なくとも先ほどの5月29日の元立誠小学校でのシンポジウム、企画展示などを見せて頂きましたら、この先斗町まちづくり協議会の皆さんの動きというのは、看板とゴミ、通られる方へのおもてなしという意味では、確実に変化が表れているようですね。

 ●お互いに配慮するという文化
神: そうですね。
ただ、その変化というのは、何かを新しくしようとしているのではないと思うんです。
ごく普通に、今、金田さんがおっしゃったように、お茶屋さんや料理屋さんや住人の皆さんが、一緒にいる。
その一緒にいるということを考えた時、24時間で考えていただいたらわかると思うんですが、例えばお料理屋さんがおられるのが、昼前から夜くらいまで、忙しい時間も違いますし、おられない時間もある。
一方で、お茶屋さんはもう少し遅くなり、住人の方々の時間はもうちょっと遅くなったりして、24時間を通してまちの景色ができていますので、その中でお互いに配慮すべきことというのはあると思うんです。
小さいことなんですが、うちなどではお向かいのお茶屋さんにまだお客さんが入っておられるなというのは、わかりますよね。
わかっていたら、帰られるまで、ゴミを出すのを待とうかとか・・・これって、全然違いますよね。
ガラッと開けて出て来られる時に、目の前にゴミが出ていれば、やっぱり気の悪い話ですし、そういうお互い様的な所を、もう一度大事にしませんかということなんです。

 ●まちの人同士の近さが、我々の強みです
絹: 神戸さんが先ほどおっしゃっておられた「先斗町は車が通らへんさかいに、会話が遮断されへん。自然とご近所同士で話が繋がる」あるいは、「副会長が歩けば仕事が増える」というのは、そういうことかもしれませんね。
金: そうです。
それが我々のまちの強みでもありますし、それをキーポイントとして物事を進めていくと、我々の考えが結構浸透しやすいのではないかと思います。

■第二章 先斗町まちづくり協議会のこれから
 ●思い出ヒアリングで、まちの歴史を共有する
絹: さて、ここで宗野さんに登場頂こうと思うのですが、今、看板対策やゴミの出し方のマナーなど「ちょっと変えようや」という動き、確実に浸透させて来られた先斗町まちづくり協議会さんですけれども、ここからさらに皆さんは先へ進んでおられると。
それが宗野さんの目にとまった。
その面白いと思っておられるところを、教えていただけませんでしょうか。
宗: はい。
先斗町の皆さんは、看板やゴミ出しの問題にずっと取り組んでいらっしゃっていて、私がすごいなと思ったのは、それだけではなくて、今、先斗町にお住まいのご高齢の方からお話を聞いて「昔の先斗町って、どんなんやったんやろ」というお話を集めるプロジェクトを開始しようとされているんです。
目に見えるものから目に見えないものまで、幅広くまちづくり協議会の取組として、視野に入れていらっしゃるのが、私にとってすごく刺激的です。
絹: それが例の“思い出ヒアリング”というやつですね。
この5月25日から30日まで行われた企画展示の中でも“先斗町町並み調査図面”、それから“古写真・思い出写真展”、“「鴨川の今昔」写真展”さらには“江戸時代の古地図から近現代の地図”といった色々な展示が企画されました。
そして今も「先斗町周辺、思い出の写真募集中」、さらには古い方々からエピソードのヒアリングをかけていらっしゃる。
神戸さん、あの面白い話「昔はよかった」シリーズ、聞かせてください。

 ●「昔の先斗町はよかった」の良かった部分をあぶり出す
神: いつも何か課題があって取り組むわけです。
ゴミでも自転車でも看板でも何でもいいんです。
すると会議でみんなが集まると、どの方も「昔の先斗町はよかった」「昔の先斗町に戻してくれ」「昔の風情を返してくれ」と。
それをおっしゃるのが80代の方から、70代、60代、50代も、40代も・・・極端な話10代まで言ったりするんです。
そうすると昔の先斗町って、何年前やと。
50歳の方の昔と20歳の方の昔では、全然違ってきますし、古写真を集めたりして、昔の写真を見てみると『ほんまにこの時代に戻してほしいと思ってはるんやろか』というところもあります。
特に戦後まもなくの頃の『ああ、戦後やなあ』というものから、まさに経済成長で日本が強くなっていこうとしている時を良かったと思っておられるとしたら、その時の生活って、みんな結構苦しかったはずで、その時代に戻してもいいのかなという部分もありますから。
絹: 何を良かったとおっしゃっているのかというのを、エピソードを聞きだすことで、教えていただくことで、集約して、大事にすべきことをあぶり出そうよというお気持ちなのでしょうか。
神: そうですね。

 ●昔からずっと先斗町は石畳だった?
絹: さっき、面白かったんです。
僕は当たり前のように、先斗町と言うと斜めになった石畳を連想して、ずっと昔からそうだろうと思っていたら、教えて頂いたら平成2年だそうですね。
神: そうです。あれは平成2年で、まだ20数年なんです。
皆さんは先斗町と言うと、あの石畳を言われて、確かにきれいなデザインなのですが、その前は(それがいつ頃からかわからないのですが)、アスファルトに四角い石が置いてあっただけだったようです。
その前を聞いてみると、全面アスファルトだったと。
それが戦前、戦後くらいの話なんです。
その前後する辺りの写真を見てみますと、何か地道っぽいんです。
ほんなら、いつ石畳やったんですかという話になってくるでしょう(笑)。
絹: 「先斗町の脇の細い路地は、昔から石畳やった」と教えてくれはりましたね。
金: そうです。
そこまで行きますと、大正・明治になってきますので、写真なども四条通も残っているんですが、四条通も土道だったと思うんです。
そう考えますと、先斗町だけ、明治の段階で石畳やったのかというのは、ちょっと考えにくかったように思うんです。
だから本来石畳であったのは、先斗町通ではなくて、路地の方、私有地にあたる部分の方が、石畳で埋め尽くされていたという、そのイメージで皆さん思っておられるような感じかなと思いますね。
絹: はい。“思い出ヒアリング”へと、先斗町まちづくり協議会の皆さんの活動は、進みつつあります。
そして何か非常に大事なところをあぶり出そうとされているのが、伝わってまいります。
今後この“思い出ヒアリング”をどういう形で、また第二段、第三段という形で、5月になさったようなことを企画して、皆さんにお届けしようなどという企てがあるんでしょうか。

 ●昔の先斗町をあぶり出して、ライトに見せたい・・・
神: ちょっと本日は来させていただけなかったんですが、シンポジウムの実行委員長で植南さんというまちの方が取り仕切っていただいたのですが、シンポジウムが終わりまして、“思い出ヒアリング”のような「昔どんなだったのか」というのを探していくと。
そして今後それを探したなかから、昔の先斗町をライトに見えるようなことに繋げて行きたいなと考えています。
絹: ライトと言いますと?
神: よくありますけれども、先斗町を歩いていただいているときに、スマートフォンなどで見ていただいたら、江戸期の先斗町の地図の上を歩いていたりとか。例えばお茶屋さんに行って、ピンがささっている所を叩いてみたら、100年前の写真が見られたりとか、そのようなことです。
みんなが昔のことは忘れてしまいますので、ある程度共有してもらう、もっと言えばまだまだ出来ていませんが、行きたい路地奥のお店への行き方を教えてくれるとかいうふうな現実的な使い方も含め、そういう発信も今後、植南さんには進めていただいているところです。
絹: そしてそのなかに、古い先輩方から聞き取った昔の先斗町の大切なイメージも散りばめていかれるということですね。
なぜこういうことが、宗野ふもとさんにはすごいなと思われたのでしょう。

 ●私たちの取組みを、京都市全体に、そして日本全国に
宗: たぶん私の予想なんですが、これから色んな方にお話を聞いていかれたら、すごく意外なエピソードとか、全然知らなかったようなことが、色々出てくるんじゃないかと思うんですけど、そういう話をおそらくこのお二人は、すごくいい形でまちづくりに繋げてくださる方たちなのではないかという、そういう思いがあって、ワクワクしています(笑)。
絹: 先斗町まちづくり協議会の副会長と事務局長のお二方ですけれども、先ほどもお話を承っておりまして、「わがまち先斗町が好きだ」「わがまちへの誇り・愛着」というのを非常に強く感じました。
そしてそれだけに留まらず、お二人からは「先斗町だけと違うねん、こういうことをやっているとそれが拡がっていくんや」みたいなことをおっしゃっていました。
その辺について副会長どうでしょう。
金: 我々が今やったことをモデルとするというと、おこがましいかもしれませんが、やったことが先斗町だけではなく、京都市全体、さらには日本全国というところまで、うまいこと参考にしていただけたらいいかなという思いで、我々もずっとやってきております。
神: 「このまち」という言葉を使っていますが、花街だからという土台が1つあったから、日本らしいところが現代になっていくなかでも残りやすかったのだと思うんです。
畳一枚の価値だとか、柱一本の価値だとか、そんなものも含めてなのですが、そういうところって、他の土地では残りにくい。
せっかく先斗町で残っているので、そこでまちづくりや町並み保全の努力をしてみるということは、他のまちでもある日本らしさを大事にしていくことの、1つの参考になるのではないかと。
失敗したところも含めてですが・・・。
絹: 非常に大事な勘所を語っていただいたように思います。
リスナーの皆さんも、愛国心だのへちまだのと言う前に(笑)、やっぱり自分の住んでいる界隈を大事に、誇りに歩いてみる。
そして歩いたら、お二方のように仕事が増える、声が掛かるくらいに、何か自分の町内会、あるいはその周りに色々輪が広がるといいなと。
これがひょっとしたら、大げさに言いますよ(笑)、日本を救うかもしれない(笑)。
ということで、ありがとうございました。
それでは告知タイムです。

 ●まちづくりセンターからの告知です
宗: まちづくりセンターから告知です。
夏のセミナーの申し込みが始まりました。
詳しい内容は、まちセンのホームページや、色んなところでお配りしているチラシを見て、興味のあるセミナーがありましたら、どんどん申し込んでいただけましたら、とてもうれしいです。
よろしくお願いします。
絹: ありがとうございました。

今日は先斗町まちづくり協議会の金田副会長、神戸事務局長のお二方に、先斗町を切り口にした京都の愛し方というところを語っていただきました。
ありがとうございました。
この番組は、心を建てる公成建設の協力と、京都府地域力再生プロジェクト、そして京都市・景観まちづくりセンターの応援でお送りしました。
ありがとうございました。
一同: ありがとうございました。
 目次へ戻る  

このページのトップへ