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放送日 平成19年3月7日(mp3形式音声ファイルはこちら→)
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 放送内容は、著作権の保護を受けますので、個人でお聞きになる以外のご利用は出来ません。
ちょびっと
タイトル: 「街の縁側・クニハウス・ハルハウス
ハルハウスの「街の縁側」を越えた「街の学び舎」構想について〜
テーマ: ハルハウスの「街の縁側」を越えた「街の学び舎」構想、そしてその進化形について、ハルハウス代表、丹羽國子(にわ くにこ)氏に語っていただきました。
出演者:
丹:丹羽 國子(にわ くにこ)氏  ハルハウス代表
「写真 管 洋志」

絹:絹川 雅則 (公成建設株式会社)
ちょびっと
 放送内容については、無断使用を禁止させていただきます。この件についてのご連絡はこちらまで。
絹: :まちづくりチョビット推進室!
Give me thirty minutes,I will show you the frontline of “まちづくり” and “まちづくり” people in KYOTO.
************************************************************************
絹: みなさま、こんにちは。「まちづくりチョビット推進室」の時間がやってまいりました。この番組は、地元の建設屋から見た、京都の元気な街づくり人の紹介や、その最前線をご紹介しております。本日のお相手は、丹羽國子さんであります。
丹: こんにちは。
絹: よろしくお願いします。
丹: こちらこそ。
絹: 今日の番組のテーマは、「街の縁側・クニハウス・ハルハウス」です。そして、その進化形ってなんでしょうか。みなさんに、知っていただきたい実例があります。「ハルハウスのこれから」ということについて、丹羽國子さんに語っていただきます。今日の特別ゲストであります丹羽國子さんのプロフィールをご紹介します。
丹羽さんは、35年間愛知県内の精神科の病院や東京都の病院で働きました。婦長(師長)さんと言われていたこともありました。
元看護婦(看護師)さん。今は、京都の佛教大学で教授をされています。
私が初めて丹羽さんにお会いしたのは、7、8年前になります。
丹: そうですね。8年ぐらいだと思います。

●名古屋の町の縁側「クニハウス」
絹: ここに2006年の10月18日の『朝日新聞』の記事があります。
タイトルの「老若男女集う都会の縁側」という見出しが大きく踊っています。
丹羽さんが退職後にご自宅を開放して、名古屋市千種区の一丁目でフリースペース(いわゆる「街の縁側」ですね。丹羽國子ですからクニハウスという命名だそうです)を開いていられて、「元看護師の研究者が自宅を開放して8年目。
街の縁側の先駆けとして全国から見学者相次ぐ」とあります。
見学者の一人が、「街づくりチョビット推進室」の私、絹川でございます。
すっごくあの時びっくりしたんです。
お邪魔して、なんと居心地のいい空間で、半日近く、根が生えたようにクニハウスにいさしていただきましたね。
丹: そうでしたね。
絹: 丹羽さん、クニハウスの外から見た感じを説明していただきましょう。
入りやすい、物干し台を洗練さしたような、あるいは藤棚を洗練さしたような、「いらっしゃい」という感じの建物に改装されたんですよね。
丹: はい、そうです。
絹: 「町の縁側ってなんだろう」と興味があって、京都にも街の縁側みたいなものを作りたいね、という人たちと一緒に、丹羽さんのところにお邪魔したわけです。
ここは、フリースペースで、ボランティアのスタッフの方と年かさのボランティアさんと、学生のボランティアさんが当番されていて、いろんな人があちこちから来てましたね。
丹: そうですね。初めはですね、退職したら、自分たちのデイサービスみたいなものを作って、そこに、赤ちゃんから高齢者まで集まれば、私が「いるだけボランティア」で、地域のみなさんに来ていただいて知恵をいただける、と考えて仲間とやりだしたんですね。
それをご近所の建築家にお話しましたら、「じゃあ、学生たちのアイデアで改築をやらしてください」ということを言われて、それをお願いしたんです。
それで、できるだけ「明るく、大らかに」。ということでコンセプトを提供しましたら、名古屋市立大学芸術工学部の学生さんだった、坂戸さんという方が来てくださいまして、そのゼミの鈴木先生の学生さんたちに改修プランを立てていただいたんです。
入り口から奥の居間までが見渡せるような明るくておおらかな建物にしようということでございました。
絹: リスナーのみなさんにそこの説明をどうぞ。
私の記憶は8年前の記憶だけじゃないです。
名古屋に出張したら、そのたびごとにクニハウスへお邪魔したりしてたこともありました。1年に1回はありましたね。
丹: そうでしたね。いつも京都のお土産をご持参されて、スタッフの方から、いつも見守って下さる方というふうにうかがっておりました。
絹: ありがとうございます。
名古屋駅から地下鉄で「池下」の駅まで行って、そこから歩いて10分くらい歩くんですが、住宅街の中、小学校のそばです。
一戸建てのコンクリートで作られたおうちがあります。
イメージとして、白い色に塗られた洋館という感じです。
普通の個人のお宅というと玄関がありますね。門があって、壁があって、関所みたいな感じです。
クニハウスは関所がない家をイメージしていただいたら、リスナーのみなさんにわかっていただきやすいと思います。
玄関のところにはガラス戸、木戸があって、玄関の外には藤棚のようなベンチがあって、木で作ったジャングルジムの一部分があるような感じです。
そこに座って、いかにも縁側に腰掛けて、ここでは「休んでいいんだよ。」っていうようなかたちです。
デザイン的にも「来る人、拒まず」っていう感じが、外からも、外観からも見て取れる2階建てです。
入りますと、バリアフリーで、フラットでタイルが敷いてあります。
左側に上がりこみといいますか、たたみスペースがあって、おコタがあります。
その奥に入ったらリビングで、冬には真ん中にストーブが、でんとあります。
カウンターキッチンがあって、キッチンの中は少し掘り下げてあります。
カウンターに座っている人と目線が近くなるようにしてあるんですね。
丹: そういうことです。
いつも、対話する方の目線の下に、自分の目線が行くようにしてあります。アンダースタンドですね。
絹: 上から見おろさない。
そういう、人への心配りだけじゃなくて、建築的な心配りも上手にしてあるから、お邪魔したときに居心地よかったと思うんですね。
学生のボランティアさんがこられてて、子どもさんとカードゲームをされてました。
丹: いろんなかたがいらっしゃいます。
たとえば、91歳の方は街を歩いていて、買い物をされていても、2、3百メートルに1個座るところがほしいとおっしゃられます。
それで、あの縁側で一服して、時計を見ておうちまで帰ると、休まなくてもうちで働けるということをおっしゃってました。
「まるで、街の縁側ですね」とおっしゃられてから、私たちは「街の縁側クニハウス」と、みなさんから呼んでもらっています。
絹: 「町の縁側クニハウス」ができたあと、名古屋で、延藤先生がヘッドになってられると思うんですが、NPO法人「街の縁側応援隊」というものまで生まれてるんですね。
丹: そうです。「街の縁側育み隊」と申しまして、延藤先生が、全国に広がったクニハウスのような形態の方を集めて1年に1回、サミットをやってくださっています。
絹: 応援をしてやろうという性格のNPOまで、延藤先生、作っちゃったわけですね。
延藤先生は、元熊本大学にも千葉大学にもおらました。私の尊敬する立命館大学の乾教授が街づくりの専門家としておられますが、その方の師匠筋に当たります。
丹: いつも見守ってくださっています。
絹: それが、そもそもの出会いです。
リスナーのみなさんに、街並みがどんなのかな、イメージしていただけたでしょうか。
さらに、精神障害をお持ちのご夫婦が、入ってこられて、静かに会釈されて、何事もないように二階のほうにトントントンって上がっていかれましたね。
それから、「近く寄ったから」って、おじいさんが「うちの柿がなったんで」と、つい、座り込んでしゃべっていかれる。
丹羽さんから教えていただいた話を二つ覚えています。
外国人の留学生が、保証人がなくて下宿を難しいということで、泊るとこがなくて困っていた。それで、クニハウスで泊めてあげたということがあったそうですね。
丹: そうですね。1週間、泊めて。その間に保証人を探されて移られたということもあります。
絹: 近所の商店街のご主人が「丹羽さん、ちょっと相談にのってよ。婦長さん」とか言ってきたこともありましたね。
丹: 男性からの相談は、昼間からではちょっと敷居が高いようで、夕方相談に乗ってほしいということがありました。
ほっとする場所がないとか、ちょっとしたことを聞くということが、いま地域でだんだん冷えつつあります。
なかなかそういうことができないということで、みなさん来られます。
絹: それだけじゃなくて、脳卒中か何かで半身マヒのボランティアスタッフの方がおられて、その方は、私たちにご不自由にもかかわりもせず、柿を上手にむいて「ここに来るのがリハビリなのよ」と教えてくださいました。
丹: 今も副代表として、毎日45分歩いて往復されてスタッフをやられています。
三河のほうから、中学生で閉じこもりの方を親御さんが連れてこられたことがありました。
その方が片手でリンゴをむいて出してくださったのを見て、そのお子さんが「私はいままで何をしていたんだろう」と考えられました。
うちへ帰られたらいきなりご両親に「明日から学校へ行く」と言って、いまは元気です。遊びに来られます。そんな方もいらっしゃいます。

●京都の町の縁側「ハルハウス」と「とねりこの家」
絹: 丹羽さんが目指されているまちの縁側、ほっとできるスペースが、いろんな人たちの羽を休めるスペースとして、ほんとに機能してるんだ。と、たった一日の滞在でいろんな例を私は見せていただきました。
ウーン、スゲーナと思って京都に帰って参りました。
そのあと、この京都にも「街の縁側」ができました。
リスナーのみなさん、ご記憶にあるかと思います。
水無瀬文子さんという先生のお知り合いの方が、上京区で「とねりこの家」をなさっておられます。
丹羽さんは佛教大学で教鞭をとられるかたわら、千本北大路のライトハウスの東側あたりに、京都でも今度はクニハウスではなく、まちの縁側「ハルハウス」(丹羽さんはハルハウスとハを高く発音される)も開いておられます。
丹: 2003年から開きました。
これも仲間がいないと開けないです。
学生とか、ご近所の方、高齢で一人暮らしとか、脳卒中をやられてリハビリ中だけども、行くところがないからここがいいんじゃないかっていう方々が当番をやってくださっています。
今はほんとにお元気で、血圧も正常になったっていう方もいらっしゃいます。
絹: それから、陶器でお花の一輪挿しを作ってられる障害のある方が、ハルハウスへそれを置かしてくださいって持ってこられて、そこで販売するということもされていますね。
丹: そうですね。北総合養護学校の生徒さんたちが、ここで置かしていただいて、売ることができますでしょうか?ということで来られました。
了解しましたら、毎週4人ずつ先生と往復に市営バスを使ってお出になるんですね。
自閉の生徒さんが一人いらっしゃるんですが、その方が「2時12分、2時12分」って、時間を気にされるんですね。
それは一緒に来られた車いすの生徒さんが乗る市バスは1時間に1本で、2時12分に千本北大路に通るということで、それを気にして教えてくださったんですね。
絹: この間、お邪魔した時も「2時12分、2時12分」っておっしゃってましたね。
丹: それがですね、その子は配慮をされてるんです。
それで、彼はとても英語が覚えやすいようで、私が、スィーユーアゲインと申しましたら、次の時に来られた時の帰りに、スィーユーアゲインとおっしゃったんですね。
それで、先生たちもびっくり。よそのうちへも入れないし、そんなこと、会話するということも、今まで初めて見たということでした。
たぶん、少しは役立っているんではないかと、ボランティアの仲間は勇気づけられています。

「ハルハウス」の進化
絹: そして、さらに、丹羽國子さんの構想は広がってまいります。
このハルハウスをさらに進化させようとたくらみをお持ちでございます。
丹: 精神の方、身体障害を持つ方、知的障害の方々の施設は、作業所や授産所などたくさんございますけども、そこから、企業とか、普通のところで働くにはなかなか一歩、踏み込めないところがございます。
できればですね。朝、ちゃんと起きて出勤できる態勢を整える訓練に、朝食屋さん(朝雑炊とみんなで言ってます)をして就労支援の場にしたいと考えております。
それから、10時に終われば、10時から4時までは、みなさんがほっとできる憩いの場にする。
夜は、今も町内会が使っております。
それとNPOの方たちが、場所がない、貸してほしいということをよく言われますので、多目的に使えるようなもの。
それと、もう一つは、自律ということ。
福祉施設でも、自分たちが働いた分は自分たちで補っていこうという目的を持っていますので、できれば、留学生の方に下宿していただいて、固定資産税が払えるとか、スタッフの給料が払えるとか、そんなふうに多目的に、国際交流までやりたいと思っております。

●どなたかご支援のほどを
絹: 名古屋の千種区のクニハウスは、まちの縁側の草分けという形で全国的に注目されました。
さらに今度、ハルハウスの進化形は「街の学び舎」ということを丹羽さんは目指されています。
しかも、補助金、なんも無しなんですよ。
クニハウスに行った時は、招き猫の貯金箱がちょこんと置いてあって、今日はコーヒーご馳走になったらか、百円、二百円置いていかれる。そういうので光熱費がまかなわれる。まことに信じがたい。
もちろん、丹羽さんの退職金をつぎ込んでされているわけです。
とんでもない運営の仕方があるんだなと感心しています。
今回の、朝雑炊をやって、お漬物もみんなで漬けて、現代の町会所、まちの縁側機能も持って、国際交流の安い下宿、いろんな国からの人も何人かを受け入れようという「ハルハウス」の進化版「街の学び舎」の建設費用はこれからですよね。
丹: そうですね。
できれば、企業の方の社会的貢献としてどなたかにご寄付をいただいて、礎石に百年もつように運用しますので、礎石に書かせていただきます。
大きなボランティアの樹を作りたいと思っておりますので、どなたかご支援のほどをと思っております。
絹: 千本北大路の東側、船岡山の西側の住宅地に2階建てのハルハウスがあります。
これが将来計画では4階建てになって、さらに進化させようという丹羽さんの計画は、丹羽さん亡き後・・大変失礼なこと申しますが、丹羽さん没後も、それが続いていく仕組みを何とか作り上げたいという壮大な構想であります。
婦長さんとして35年間のご経験もあります。いろんな方の相談にのってこられたご経験もあります。お弟子さんもたくさんおられます。
お弟子さんの実践の場、お弟子さんの孫弟子さんが育つ教育訓練の場としてもお考えになっておられるんですよね。
丹: そうですね。
クニハウスは去年から、大学の看護学部の学生が地域の健康づくりということでクニハウスに実習に来ております。こちらでも実習を受け入れたいなと考えております。
絹: みなさん、千本北大路というのは、ある種、ホットコーナーであります。
街づくりといいますか、人としてほっとできる場所を何とか提供しようということを、なんと、一個人として、名古屋で一つ立ち上げられて、京都でも二つ目を立ち上げられて、驚異的なことが起こっています。
これは、あまりご存じの方多くないと思いますけれども、「まちの縁側クニハウス・ハルハウス」という言葉をご記憶の隅に置いていただけたらなと思います。
お気持ちのある方、ご興味のある方は、訪れてみてください。
丹: ありがたいです。
ぜひ、いらしてください。お待ちしております。
絹: 面白い場所といいますか、ほんとにほっとする場所を目指してボランティアの方が動いていられます。

●京都街の縁側サミット?
絹: あと3分。もう一つ。
縁側サミット。京都でも、ハルハウスだけじゃなくて、「とねりこの家」というのも上京区で機能しています。
左京区にもあるそうです。
複数、そういう街の縁側がうまれようとしています。
社会福祉協議会の事務局の米田さんという方に「京都でも町の縁側サミットをやってもらえませんか」というようなことをお願いしたりしています。
そういう連携プレーが京都でうまれたらいいなと思います。
「捨てたもんじゃない京都」ということをみなさんに知っていただきたいなと思います。
丹: ありがたいです。
絹: 最後に告知ですけれども、ハルハウスの姉妹と言いますか、上京区に「とねりこの家」というのがあります。
新町通り一条西入る上京税務署の前、「とねりこの家」という街の縁側で、3月4日午後2時「とねりこコンサート」があります。
アコーディオン奏者の山本チューヤンさんが来られます。
それから、4月15日午後2時「とねりこ落語会」があります。
いろんなことやってるんですよ。
しょうほく亭こうへい(笑福亭晃瓶?)さんという落語家さんが来られます。
こういうイベントの機会に、地元の方、「とねりこの家」のぞいてあげてください。
頑張っておられます。

ということで、今日は、番組のテーマと致しまして、「街の縁側」を超えた「街の学び舎」を目指していられる、佛教大学教授の丹羽國子さんにいらしていただきました。
丹: ありがとうございました。ほんとに。これからもよろしくお願いします。
絹: 丹羽さんは、ぼくの大事な定点観測点だと思って、ずっと見せていただいています。
それではみなさん、今日も面白い話ができたなかと思っています。
まだ、まだ京都は捨てたもんじゃない。そういう意気込みでこの番組を作っていきたいと思っています。
この番組は、心を建てる公成建設の提供でお送りいたしました。
それではみなさん、失礼致します。
ごきげんよう。みなさま。ありがとうございました。
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