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放送日 平成23年3月24日(mp3形式音声ファイルはこちら→) 
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 放送内容は、著作権の保護を受けますので、個人でお聞きになる以外のご利用は出来ません。
ちょびっと
タイトル: 「“脱”無縁社会シンポジウム~まちの縁側/地域の居場所の挑戦~ってご存じですか?
3月5日(土)に来てね」
出演者:
小:小辻寿規氏  立命館大学 先端総合学術研究科D1 つながるKYOTOプロジェクトリーダー
辻:辻 友佳里氏  立命館大学 社会調査士課程SDクラス
澤:澤田 淳氏 立命館大学 社会調査士課程SDクラス
絹:絹川 雅則   (公成建設株式会社)
ちょびっと
 
 
   放送内容については、無断使用を禁止させていただきます。この件についてのご連絡はこちらまで。
 絹:  “まちづくり”チョビット推進室!
Give me thirty minutes,I will show you the frontline of “まちづくり” and “まちづくり” people in KYOTO.
  ************************************************************************
絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た京都の元気なまちづくりびとの紹介や、その活動の最前線をご紹介しております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。
さて、本日のゲストです。
男性お二人、女性お一人、ちょっと欲張ったゲスト構成です。
まずはいつもようにゲスト紹介を、番組ホストは手を抜きます。他己紹介という形で御紹介願います。
それでは立命館からお三方来て頂いております、どうぞ。

●立命館大学から来ました!
辻: 立命館大学の社会調査士課程 SDクラスの辻友佳里と申します。
今日は同じ社会調査士クラスの澤田君の紹介をしたいと思います。
最初会った時に、すごい背が高いんですけど、髪の毛が長くて、シュッとしてはるので(笑)、ちょっと女の子かなと思っていて、でもしゃべってみたら、実は男の子だったのですけど(笑)。
すごいナチュラルな人です。
絹: それでは辻友佳里さんの他己紹介を、澤田淳さんお願いします。
澤: 辻さんは、はじめクラスが同じで会った時に、わりとおとなしめだったんですが、授業を進めるたびにメキメキと頭角を現してきて、ゼミの時には中心の存在になっていて、今ではもうクラスに欠かせない存在です。
絹: ゼミの姐さん、辻友佳里さんですか?
澤: はい。
辻: そんなことはないです(笑)
絹: そしてそのお二方の先輩にあたるんですね?
というか、ティーチングアシスタント的な位置づけのもうお一方のゲストをご紹介いたします。
小辻寿規さんです。
この方は立命館大学の博士課程、先端総合学術研究科という、舌をかみそうな名前のD1です。
何をやってはるかは、ようわかりません(笑)。

私と小辻さんとの出会いは、『京都市未来まちづくり100人委員会』です。
私は一期からで、今は三期目ですけれども、二期の委員として公募で乗り込んできたお兄さんです。
初めはどんな兄ちゃんかよくわからなかったですけれども、メキメキ頭角を現し、今は100人委員会の『つながるKYOTOプロジェクト』でプロジェクトリーダーを務めておいでです。
さらに『福祉コミュニティ部会』の部会長という形で、「報酬も出ないのにようやるわ」と頑張っている兄ちゃんの一人です。
今日はこの豪華お三方のゲストでお送りいたします。

●無縁社会との関わり
絹: さて、番組タイトルと言いますか、番組のテーマですが、「“脱”無縁社会シンポジウム~まちの縁側/地域の居場所の挑戦~ってご存知ですか?3月5日(土)に来てね」と題してお送りします。
ではこの『 “脱”無縁社会シンポジウム』について、「そもそも何なんや、これは」と。たぶんリスナーの方はお聞きになったのは初めてだと思いますので、『 “脱”無縁社会シンポジウム~まちの縁側/地域の居場所の挑戦』について、なんで皆さんはこんなのに関わらはったのか、あるいはこれは聞いた事のない人に説明するにはどう言えばいいですか?
辻さんから、いきましょか。
辻: なんで関わるようになったかと言いますと、今、紹介で「メキメキ」という説明がありましたが、小辻さんが社会調査士SDクラスのほうに、この話を最初に持ってきて頂いたんです。
それをきっかけに皆が無縁社会のことなどを勉強しまして、そのテーマに皆が非常に興味を持って、「やってみようではないか」となったんです。
絹: えっと、では順番をもってやりましょう。
立命館大学産業社会学部社会調査士過程SDクラスって、どんな勉強をするんですかっていうことですよね。
どうも社会調査士という資格があって・・・私の理解が正しいか教えて下さいね。
色んなアンケートをとったり、調査をしたりする、そういう専門家、それが社会調査士なんでしょうか。
辻: そうですね。
その資格をとるために色んな調査についての勉強をするっていう・・・。
澤: 調査の仕方だとかそういうことです。
絹: アンケートのつくり方だとか、統計の取り方、統計学とかそういうものかな?
で、その社会調査士過程という、立命館の一回生二回生が中心でしたっけ、三回生もいるの?
辻: いや、二回生です。
絹: そのクラスの、かつてティーチングアシスタントの経験があった小辻先輩が、『まちの縁側―“脱”無縁社会』というテーマでやらへんかという提案をして持ってきたわけ? 
 辻: そうですね。
持ってきていただいたんです。 
絹: 仕掛け人は、小辻さんなわけですね。
そこで小辻さんにふりましょう。
100人委員会のなかでも、当然小辻さんはそこの委員なわけですから、公募委員の一人として、門川市長から「頼むわ、やってくれ」と委嘱状をもらっている人の一人ですよね。
小: そうですね。 

●まちの縁側のマンパワーに興味がありました
絹: そこで小辻さんの『“脱”無縁社会』だとか『まちの縁側』だとか、『地域の居場所』などの問題意識を、ちょっと語っていただけますか?
小: 今、絹川さんが私の紹介の時に「何をやっている人かわかりません」とご紹介いただきましたが、私自身修士の頃、当時は『社会的孤立問題』という言い方をしていて、今は『無縁社会』と言われていますが、そういったところで孤独死だとか孤立といった問題があった。
それで行政の人たちのなかで、色々支援が必要だという事は当時から言われていて、その研究をもともとしていたんです。
そして100人委員会に入って行って、『地域の居場所』とか『まちの縁側』と言われるものがあると。これは面白いなと。
マンパワーというか、地域の人の力でどうなるかというのに興味があって、ちょっと足を突っ込んだというのがもともとのきっかけです。
絹: その『まちの縁側』というキイワードにこだわって、追いかけている人間の一人が私なわけでして、私は本業は建設屋というか土建屋ですが、直接関わりがないのかなと思うけれども、なぜかこの場の持つ力、人の集まる場所というのが、すごく大事な気がして、ここ10年くらいずっとそれを追いかけているところなんです。
そこであなたたちと出会ってしまったというところなんです。

●“脱”無縁社会のシンポジウムを開催します
絹: さあ、今日は番組のメインの目的がシンポジウムの告知です。
3月5日土曜日13時30分から17時の間、キャンパスプラザという、駅前の大学コンソーシアム。
そこで『“脱”無縁社会』のシンポジウムをやりましょうと。
その主役が、澤田淳さんや辻友佳里さんに代表される学生さんたちの下支えというか、活動報告がかなり大きな柱になっています。
それから実際に『縁側人(えんがわびと)』と言いますか、『縁側主人』たち、ご自身で縁側を開いて常に活動をしている人たちの活動報告を絡めて、皆さんに聞いて頂こうという企画ですよね。
それをリスナーの皆さんにお伝えしたい、是非来てちょうだいよというのが、番組の一番の柱でありますけれども、そのシンポジウムを準備するにあたって、このお二人を含め15名くらいの人たちが汗をかいてくれた。
その時の話をお二人からエピソードをいくつかお聞かせ願いたいのですが。

次は澤田淳さん、行きましょか。
澤田淳さんは地域の中に入って、色んな人にお話を聞いたり、アンケートを取ったり、インタビューをしたりしたんですね。
その時のことを教えていただけますか。

●遠い話ではなかった“孤独死”
澤: はい、京都市上京区の17学区の学区長への調査を行った時のことなんですが、学区長の隣りの家の人が・・・。
絹: すみません、小辻さん、学区長という言葉は正しいんですか?
小: 正しいと思います(笑)。
絹: すみません、おっちゃん長いこと京都に住んでるけど、そういう言葉、実はあんまり知らんかったんですよ。学区長、元学区とかそんな感じですか。
澤: 町内会長とか京都では使いますね。
 小: 町内会長と言った方がわかりやすいですね。
絹: 町内会長さんとか、学区長。自治連合会長さんともかぶるんですか? 
小: 自治会長さんですね。
絹: それくらい私の知識はあやふやでございます(笑)。はい、お願いします。 
澤: その町内会長さんの隣の家の人が、実際に孤独死されてて、それがわかったのが死後三日後だったということをお聞きして・・・。
絹: それはごく最近の話ですか。 
澤: 二か月前くらいですね。
絹: まだ生々しい話ですね。 
澤: 先ほど小辻さんが孤独死とかおっしゃっていたんですが、実際に僕らが調査していて、本当に身近にあるということを再確認したというか、本当にすごいことを僕らは今、調査しているんだなということを実感しました。
絹: その学区長さん、なんというお方でしたっけ。 
小: いや、匿名で調査しているので・・・。
絹: あ、そういうことか。なるほど、調査士課程というのは、色んな気を遣うし、色んなことを学ぶんですね。本当に個人のお勝手口の内側のことも聞かせてもらうこともあるわけですものね。例えばどういう聞き方をしたの?どういう入り方をしたの?

●繋がりの必要性はみんな感じていて・・・
澤:
僕らが『まちの縁側』について調査をしていて、『まちの縁側』の必要性というのを、色々僕らが説明というか・・・。
絹: 『まちの縁側』という言葉がちゃんと伝わりました?「なんやそれ、そんなもん、聞いたことないわ」って、言われへんでしたか?
澤: 『縁側』という名前がわかり難くしているんですが、たぶん居場所というか、繋がりができる場所というので共通している・・・。
絹: さわやか福祉財団の方たちは、『ふれあいの居場所』という言葉を使っておられますね。『コミュニティカフェ』や『コミュニティレストラン』という言葉を使われる方もいらっしゃいますし、例えば南太秦の自治連合会長さんがなさっている小学校のやつ、あれ何でしたっけ。
小:
『南太秦ふれあいサンデーモーニングカフェ』
絹: 小学校のランチルームとかを使って、地域の団体が7団体くらいですかね。
小: そうですね。7団体くらいです。
絹: かわりばんこで、トーストとコーヒーと卵を出して、お休みの日に集まって老若男女が語り合うなんてことをやっている所がある、それも小辻さんが調べてきた?
小: いや、僕が調べたというわけじゃないんですけど、絹川さんには御紹介したというレベルなので。
絹: 自治連合会の高岡会長というのは、ええおっちゃんでね、すごいなあと。リスナーの皆さん、シンポジウムに登壇されるので、ぜひ聞きに来て下さい。
澤: 僕らがやっている調査のことをお話しすると、「本当にそれが必要だ」と、どの学区長、町内会長さんもそうおっしゃっていて。
絹: 伝わったんですか。『縁側』という言葉は別にして。
澤: はい、繋がりができる場が本当にないと。実際に調査をする上でおっしゃっていたので。
絹: 実はね、こういうことに興味を持っていて、『まちの縁側』だとか『ふれあいの居場所』だとか、『ふれあいモーニングカフェ』『コミュニティカフェ』等、すごく大事だと思うんですが、僕、個人的に以前は『繋がり』という言葉が、あんまり好きじゃなかったんです。
なんかこの頃、繋がり、繋がり、繋がりとあっちでもこっちでも言われ続けていて、「えらい陳腐な言葉やな」と聞こえていた時期があって。でもなんかこの頃、NHKの『 “脱”無縁社会』のプログラムだとか、結構みんなが同時多発的に思い出した、問題意識を感じているのが、繋がりの希薄さみたいなことなのかなと、今更ながらに思っています。その辺、お三方も人と人との連係プレイ、繋がり、関係性、どんな言葉であらわしたらいいかわかりませんが、少しやはり希薄になっているように思われますか?

●連携技術の発達とともに失われたもの
絹: 若い人たちはITの技術だとか、僕はやったことないけど、フェイスブックだとかツイッターだとか、息子たちはなにやらネット対戦ゲームですか、同じ部屋に集まりながら、小さい画面を見てじーっとやったり、ヘッドセットとマイクロフォンで遠くの人と、ゼミの打合せしてるのかと思ったら、ネットゲームをしていたり、もう携帯電話も使わなくなってきているとか、なんか不思議やなと思って。そういうすごい連携技術が発達しているんだけど・・・。
辻: 逆にグローバル化が進んでいるからこそ、自分のパソコン一台で色んなことができてしまうから、実際の人との顔の見える付き合いというのが、そういうのってちょっとめんどくさいところもあるので、そういう意味で人と人との対面した付き合いというのは、どんどん減ってきているのかなと。グローバル化しているから逆にっていうのは、感じたりします。
絹: それはそうですよね。きっと。会社なんかでもね、隣りにいるのに、メールでやりとりしていたりとか、大企業か!っていうような、そんな映画みたいなテレビドラマを見たことがありますけれども。でも実はフェイスtoフェイスの顔の見える繋がりって、すごいじゃまくさいし、大変よね。
辻: でもだからこそ、色々とあったかいものもあると思うんです。

●ハルハウスを参与観察しました!
絹: さて、今度は辻さんにふりましょうかね。友佳里さん、『ハルハウス』で居続けの参与観察ですか?参与観察っていうのも、なんか専門用語みたいですけど。じゃあ、できれば平仮名で二つ説明して下さい。『ハルハウス』って、どんなとこ?参与観察って、なに?教えて下さい。
辻: 『ハルハウス』というのは、『まちの縁側』の一つなんですけど、結構先進的な事例として。
絹: 場所はどこでしたっけ?
辻: 京都の北区の北大路通の近く・・・。
小: ライトハウスありますよね。あれの反対側に位置するんですが、ちょっとわかりにくいですね。
絹: 確か船岡山の西側の辺。楽只小学校の南の辺やったかな。
はい、そこにあなたは居続けた?
辻: そうですね、一週間『ハルハウス』さんにおじゃまをして、営業時間中ずっと居続けるというのを、クラスの子たちで順番にシフトを組んでやったんですけど。
絹: 延べで何人くらいの学生さんが来て下さったんですか。
辻: 14~5人ですね。
絹: じゃ、ほとんどフルメンバーが全部必ず行っていたんですね。
辻: そうです。
絹: ほう、SDクラスおそるべし。大したもんや。
辻: 3回くらい私も行きまして。 
 絹: そこで体験したことを教えて下さい。 
辻: 行った時は、だいたい4~5時間くらいいました。ちょうどその時期が夏の8月くらいだったんです。
絹: 暑い時やね。
辻: そうです。すごい暑いんですけど。 
絹: クーラーかけへんでしょ?
 辻: はい、扇風機もかけないみたいな感じで(笑)。主催者の丹羽さんが、徹底して省エネをなさっているというのもあるんですけど。
その時期、丹羽さんがおっしゃるには、すごく人の少ない時期だったらしくて、あまり来た人の会話を聞くことは、そんなに多くはなかったんですけど、『ハルハウス』にノートがありまして、来た人たちが色々とメッセージを書いていたりとかするようなノートですけれども、そこに色んなメッセージが書いてありました。例えば雑炊があるんですが、「雑炊を食べて元気になりました。今日も頑張って仕事に行ってきます」だとか、「すごくおいしかったので、また来ます」とか、「○○ちゃんと来ました」とか、色んなメッセージがあって、『ここは本当に色んな人たちの繋がりが生まれたり、色んな人に元気を与えている場所なんだな』と感じました。 
絹: なんかそれを聞くと瀬戸内寂聴さんの『寂庵』やったっけ?お寺においてある寄せ書き帳じゃないけど、「どうぞ、お書きやす」みたいな、そんなノートにも聞こえるね。
辻: たぶんそんな感じだと思います。 
絹: 小辻さんも『ハルハウス』での教えていただけるようなエピソードはありませんか?こんな場面に出会ったよとか、記憶に残っている場面はありませんか?

●ハルハウスの不思議なちから
小: 『ハルハウス』は、すばらしい場所であると、今は思っていますけれども、初めて行った時というのは、たぶん僕初めて行ったのは、去年の4月か5月くらいだったかな。『すごく変わった場所だな』というのは、感じましたね。ちょうど『ハルハウス』が新しくされたんです。リニューアルされた後だったので、すごくまだきれいだったというか、人の住み家ではなかったというか、『ここで、なにか居場所になるのかな』と思っていたんです。だけどいつも行かせていただいているうちに、どんどんどんどんと、人が増えてきて、物が増えてきて、ぬいぐるみがあったり、遊んでいる人がいたりして、『ああ、居場所だな』と。『いい場所だし、居場所だな』と感じました。また丹羽さんがまた、すごくいい人で。
絹: 丹羽國子先生、『まちの縁側』、今は『まちの学び舎』と称しておられますが、そこの代表で、元佛教大学福祉学科の教授で、退官されましてフリーで財団の理事長をなさっています。
偶然、『ハルハウス』の施工の工事をさせていただいたのが、うちの会社なんです。そんな御縁もありますけれども、僕の縁側エピソードを一つ開示させていただきます。
リニューアルされる前の古い建物の時、楽只小学校の3年生か4年生の不登校の女の子が、一人来ていたんです。学校の先生に「学校に来られないなら、『ハルハウス』にお弁当を持って行ってらっしゃい」と言われたのか、どうだったのか、正確には忘れましたが、来ていたわけです。で、丹羽國子さんはその子に何をしなさいと言うわけではなくて、「お客さんが来たら御挨拶をしなさい。お茶を出してね。あとは好きにその辺の本でも読んでらっしゃい」と、それだけおっしゃっていたと。で、私も仕事をさぼってと言いますか、自分のデスクだとなかなかじゃまが入って原稿もまとめられないので、『ハルハウス』にパソコンを持ちこんで、原稿を書いたりしていたんです。何度か彼女見かけたんですが、2~3ヶ月で彼女、いなくなったんです。「彼女どうしたんですか」と丹羽先生に聞いたら、「元気になって学校に戻って、男の子のお尻を蹴っ飛ばして遊んでいるわよ」と。別に何をやらせたわけでもなく、普通に御挨拶をして、お茶を出して、片づけてって、やっているだけで、何か元気になって、校長先生がお礼に来たと。
それから大学の職員で精神的にしんどくなって、長期休職していた人が『ハルハウス』に来て、丹羽先生とぼそぼそっと話をしてたり、あるいは一人旅で、傷心の旅なのか、女性が偶然ふらっと入ってきて、「一週間ほど京都にいます」とか言って、また元気になって帰って行くとか、僕は四六時中いるわけではないけれども、そんなエピソードをいくつか知っているわけです。不思議な場所やなあっと。
はい、私、話し出したら止まらないので、小辻さんにもう一回、今日の番組のメインの告知をやってもらいます。そして告知と共に、このシンポジウムが小辻さんにとってどんなシンポジウムなのかということも、加えて下さいね。

●無縁社会ではなく無援社会
小: はい。2011年3月5日土曜日、場所はキャンパスプラザ京都、4階の第3講義室、時間は13時30分から17時まで。13時(お昼の1時)に開場させていただきます。シンポジウムにおいては、色んな『まちの縁側』、『地域の居場所』のアクター(運営者)たちが来て下さって、お話をして下さったり、社会調査士課程の大学生が、実はSD以外にSBも似たような調査をしていまして、彼等も参加してやってくれます。
私の居場所に対する気持ちについては、この間も友達と話したんですが、「無縁社会という言葉はおかしいよね」という話があって、みんななんだかんだ言って、インターネットにしろ何にしろ、縁はあるんですね。で、「縁じゃなくて、援助の援がないんだよね」という話をしていて、お互い援助しあえる関係がない。
絹: 援助って、助け合えないということ。
小: そうです。助け合いです。そういう援助がない無援社会だねという話をしたんです。
絹: 無援助社会か。
小: そうです。無援助社会です。だけれどもこの『まちの縁側』や『地域の居場所』の運営者たちは援助してくれる方たちです。そういう場所で無援社会が彼らによって解消されていく、それは僕たちの仕事かもしれませんが、みんなでやっていけたらいいなと。

●「シンポジウムのその後」を楽しみに
絹: はい、小辻さんありがとう。短いですね。もうそろそろ終わらなければなりません。最後のまとめですけれども、どうなるのかなと。このシンポジウム、3月5日にやったと。その後、皆さんが次のアクションと言いますか、どういうふうに思うのか、あるいはどういう行動を取るのか、というようなことを、また次の番組で話せたらいいですね。
ということで、そろそろ終わります。「“脱”無縁社会シンポジウム~まちの縁側/地域の居場所の挑戦~」、是非みなさんお越しくださいね。この番組は、心を建てる公成建設の協力と、京都府地域力再生プロジェクト、そして京都市景観まちづくりセンターの応援でお送りしました。小辻さん、辻さん、澤田さん、ありがとうございました。
全: ありがとうございました。
絹: じゃあ、失礼します。さよなら。
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