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放送日 平成18年12月6日(mp3形式音声ファイルはこちら→)
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 放送内容は、著作権の保護を受けますので、個人でお聞きになる以外のご利用は出来ません。
ちょびっと
タイトル: 京の川は、山は安全か?
「自助・共助・公助」新たな防災・減災意識が、今必要だ!
テーマ: 佛教大学文学部人文学科 植村 善博教授をお招きし、京都の防災の歴史から、今取り組むべき防災・減災の方策について語っていただきました。
出演者:
植:植村 善博氏  佛教大学文学部 人文学科教授
絹:絹川 雅則 (公成建設株式会社)
ちょびっと
 放送内容については、無断使用を禁止させていただきます。この件についてのご連絡はこちらまで。  
絹: :まちづくりチョビット推進室!
Give me thirty minutes,I will show you the frontline of “まちづくり” and “まちづくり” people in KYOTO.
************************************************************************
絹: 皆さま、こんにちは。
まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は、地元の建設屋から見た、京都の元気なまちづくり人の紹介や、その最前線をご紹介しております。
本日のゲストコメンテーターは、佛教大学文学部、植村教授をお呼びしております。
植村先生よろしくお願いします。
植: こんにちは。
絹: まず、植村先生のご紹介から入ります。
もうだいぶん前になります・・・夏ですね。8月19日・・京都新聞社の上でしたね・・先生。
「防災・減災フォーラム2006in京都」と言うフォーラムがありました。
そこで、植村先生は、コメンテーターというか・・・パネル?
植: パネラー。
絹: パネラー。パネリスト。パネルディスカッション、をされました。
そこで先生の解説が、私、非常に印象に残りましたので、本日是非、この番組におこしください、と言うことで、曲げてきていただきました。
植: どうもありがとうございます。こんな部屋では初めてですね。
ラジオでしゃべるのも初めて・・
絹: あっ、本当ですか。
植: 緊張してます。
絹: いえ、大丈夫です。では、ざっと先生のプロフィールをご紹介します。漏れ聞きますと、今は仏教大学の「地理学」の専攻の先生でいらっしゃいますけれども、かつては、府立高校の先生もなさっていた・・
植: はい。
絹: と言う・・少し変わり種。
それから、京都府の地震被害想定委員会の委員をされてまいりました。
それから、御著書といたしましては、ナカニシヤ出版さん。
昔、京大の門の前にあったところです。今は移動しているそうです。
「京都の地震環境」と言う御著書があります。
興味のある方は、是非お読みください。
そして、今日のテーマです。
防災・減災、京都のまちづくり・・まちづくりの基本には防災って言うのが有るんじゃないか?と・・それから、今の京都の防災環境・・その切り口を、町の人と一緒に考えてみましょう、と言うことを先生に解説していただきたきます。
それでは、まず先生にマイクをお渡ししますが、僕が一番・・・「おやっ?あれっ?すごいな」っと思ったのは、台風23号のことについて、先生が京都府の北部に行かれて、被害調査をなされた時の報告。そして、その分析をされた点についてであります。
植村先生、すいません。その辺りから、お願いいたします。
植: はい。最近の災害の特徴はですね、一つはグローバル化。
絹: はい。
植: 非常に広域的、しかも大規模で深刻な被害が出ます。
絹: はい。
植: もう一つはですね、ローカル化。
非常に予測の難しい、小さな地域で異常なことが起こりやすい。
絹: はい。
植: 三番目は、大都市域、或いは都市に住む人の災害に関する知識、意識が低いこと。
絹: はい。
植: 四番目は、地域格差ですね。経済的、或いは政治的に弱者が、より大きな被害を受けている。
絹: はい。
植: そう言う意味で言うと、現代の災害は非常に複雑な状況を呈してきていると思うんですね。
絹: はい。
植: まさに・・今から三年前の、台風23号災害でも、そう言うことが言えるんではないでしょうか。
絹: はい。僕は、その先生・・・台風23号のことが、すごく印象に残っているんです。
阪神の大震災もそうですけれども、台風23号の時も、現地調査へ私も怖々行ったんです。
そしたら、滝馬地区ですか・・・
植: はい。
絹: あの辺りの土石流の凄まじさ・・・木がまっぷたつ、半分縦に裂けてて、半分無くなってるところだとか・・・
生木が建物に突き刺さっている状態だとか・・
植: うんうん。
絹: ちょうど先生も、あの辺りご覧になったんですか。
植: えぇ、えぇ。あの、宮津市滝馬地区はすごかったですね。
絹: はい。
植: 山から、信じられないような巨大な石がゴロゴロ、押し流して来て、家を押しつぶし・・・道を泥が埋め尽くしていた・・・
絹: はい。
植: 二人の方亡くなりましたよね。
絹: そうです、そうですね。
植: そして新しい住宅も含めて、十軒ぐらいが、全壊・半壊。
絹: はい。
植: 信じられない悲惨な被害でした。
絹: はい。
植: ただ、事前に、あの地域は、土石流がやってくる可能性があると言うことは、地図から判っていましたし・・・
絹: いわゆる・・・
植: ハザードマップ。
絹: と言われるやつですね。
植: そう。それは宮津市が既に各戸配布してたんですけれども・・・
絹: はい。
植:
ところがその「意味」・・本当に自分たちが住んでいる場所に、どんな危険性が有るのかって言うことを市民の方には、地図だけでは理解できない。
宮津市防災マップより転載
絹: はい。
植: やはりその基本的な知識・・地図から災害の危険性を読み取る知識・・
絹: はい。
植: それはやっぱり、身につけておいてもらわなくっちゃいけなかった。
或いは、それは市の仕事として、ちゃんとやっぱりやっておきべき事だったかもしれませんね。
絹: はい。この電波はですね、京都市内に主に届いております。で、今「滝馬」って、何も説明せずに言っちゃいましたけども、京都府北部の・・あれは宮津市でございますか?
植: 宮津市の宮津高校のすぐ山手にある、住宅団地でしたですね。
絹: たまたまうちの会社も、あの近くで工事をしておりましたので、ちょっと記憶に残っておるんですが、それから先生は、野田川と大手川・・?
植: えぇ、宮津の町を流れているのが大手川・・・
絹: はい。そのことについて・・・
植: 加悦町、野田川町、岩滝町・・今合わせて、合併して、与謝野町になりましたけどもね。
絹: はい。
植: そこを流れているのが、野田川。この二本の川・・両方共、大江山という山を源流にしておりますし・・・
絹: あの、鬼の・・・
植: そうです。
絹: 鬼の大江山ですね。
植: そうです。
しかも、二つの川で非常に面白かったことは・・流域ではほぼ300ミリぐらいの雨が降りました。
絹: 300ミリって言うのは、1日にですか?
植: ほぼ、正確には16時間ほどです。
絹: 1日間で。
植: はい、ほぼ1日間で、総降雨量が300ミリ。
絹: はい。
植: 大体・・そうですね、我々災害を考える人間にとっては、1時間雨量で30ミリ。
絹: はい。
植: 1日で大体・・200ミリの雨・・
絹: はい。
植: を超すとですね、「どっかで災害が起こるんじゃないか?」という風に思いますので・・
絹: はい。
植: 一つの目安として、時間雨量で30ミリ、一日雨量で200ミリ、って言うのは是非、覚えておいていただいて、そういう・・もしも情報が入ったら、一寸心配せんといかんなぁ・・と。
絹: リスナーの皆さん。「これ試験に出ますよ」、じゃないですけど、今先生がおっしゃった、時間雨量30ミリ、それから総雨量・・・
植: 200ミリ。一日で200ミリ。
絹: 一日200ミリ。その数字、是非覚えてください。
これは自分の身を守り、大事な人の身を守るためにも、必要な常識だと思います。
すいません、おじゃましました。どうぞ。
植: それで、調べましたところ、23号の災害で大手川では床上浸水した家屋が1500戸。
絹: あぁ・・多いですねぇ。
植: 1500の家が、皆畳の上まで水が来てしまったと言う大被害でしたが・・・
ところが同じ野田川では、床上浸水は400戸・・・少なかったですね。
絹: はい。
植: どうしてそんなに被害の差が、二つの川で生じたのか。これは私にとっては、重要な課題でした。
絹: はい。
植: 一生懸命調査して、また地元の方にも話を聞きましたけれども、だんだんその様相が見えて来ました・・・と言うか、背景が見えてきました。
それは恐らく、雨の降り方だとか、流域のいろんな地形、地質条件が違うのではなくて、その地域に住んでいる人達が、川とどのような歴史・・いわば、川の歴史を学んできたか。或いは災害をどれぐらい切実に考えて、訴えてきたか。
言うならば、その地域の「防災の文化」と言いますか、意識が高いか低いか。そう言ったことが、どうも被害の大きさを、大きく支配したように思いましたですね。
絹: このコメントを聞いたときに私は、目から鱗が落ちたような気がしたんです。
防災・・・私は建設屋ですから、防災って言うのはハードなものだと思ってた。
堤防を築き、川を出来るだけ、堤を厚くし高くし、川のそこを掘り下げて、降った水を・・雨を早く下流に流す・・工事で、ハード的に守られてるもんだ、と思ってたんですけれども、先生の切り口は、180度違う切り口で、「防災意識」という、ソフト面というか、人の心、気持ち、考え方で大手川と・・・
植: 野田川ですね。
絹: 野田川が・・被害が大きく違ったんだと・・・そう言う分析をされたんです。
植: はい。ですから、野田川ですとですね、江戸時代から水害が多かったようですけれども、野田川の流域民達はですね、明治の終わり頃から、団結して、「川に堤防作れ」「河川改修を行え」って言うことをですね、京都府、国に訴えてきたわけですねぇ。
絹: はい。
植: ほとんどが全部農民で、しばしば水が漬いて、そして稲が・・収穫がゼロ。
こういったことがしばしば起こったもんですから、切実な生活問題・・・
絹: はい。
植: それで、非常に強く訴えたものですから、京都府がもう大正9年から昭和6年には、野田川に立派な堤防を造ったと・・・これが第一回目の堤防改修です。
絹: はい。昭和6年に・・すでに。
植: 昭和6年に、既に完成したということですね。これは非常に・・京都府でも非常に早い段階で、河川改修が出来た事例だと思います。
絹: はい。
植: その後、水害は少なくなったんですが、やはり1950年頃・・いわゆる大戦後に、又・・再び水害が非常に多くなりました。
絹: はい。
植: それで又、地元の人達は・・今度はですね、町の人達・・・町長はじめ、町の人達。それから野田川町、岩滝町、加悦町と言った流域全員の人達の力を集めて、「野田川改修期成同盟会」というですね、運動団体を結成されたんですね。
絹: はい。
植: そして、府に非常に強く働きかける。当時京都府の知事は蜷川さんという方でしたけれども、そう言う地域住民の声を聞いて、しかも野田川に非常に手厚く工事をされてですね・・・
これも昭和60年位に、もう二回目の河川改修工事が・・・
絹: 行われたと?
植: 完成したと。
絹: 完成ですか。
植: 完成したんですね。ですから、現在野田川の堤防の高さは、大体低地から5.7メートルというところまで引き上げられております。
ですから今回の水害では、川の水位が、大体4.6メートルまで上がりましたけども、立派な堤防があったもんですから、まだ1メートル以上余裕があった。
絹: はい。
植: ですから、水害というのは堤防が破堤したり、川の堤防を越えて水が溢れたんではなくて、支流から流れ込んできたいわゆる内水って言うんでしょうか?内水でもって、最も低いところが浸水した。
絹: はい。
植: したがって、そう言うところに人が住んでなかった。住宅を造りませんし、もっぱら水田利用でしたから、被害が非常に少なかった・・・
絹: うーん。
植: というようなことなんですね。
ですから、やはり危険度・・どの辺が水害に遭いやすいかと言うことも、皆さん方よく知っていた。
そして既に、堤防自身も強く大きなものになっていたと・・・。
地域の、やっぱりそう言う人達の、川に対する意識・・・これが非常に強く、被害を少なくした原因だったんじゃないでしょうかねぇ。
絹: 大手川じゃない・・野田川の方ですね。流域住民の人達が、歴史的にがんばって、陳情を行ったり、意識が高かったと・・
こないだの23号・・一昨年でしたか・・台風の時は、舞鶴付近でバスが・・・
植: 由良川のとこですよね。
絹: 水の中に浸かって、屋根の上で救助を待ってられる映像が放映されてましたけれども、あの台風ですね。
植: そうです、そうです。
絹: その時に・・一方大手川ではと・・・
今おっしゃったような、明治以来護岸には、余り手を付けられてなかったって、先生おっしゃってましたねぇ。
植: そうですね。歴史を調べましてもね、大手川流域の水害は、何度も何度も繰り返して起こっていたことは確かです。
絹: はい。
植: 戦後・・1950年以降でも、大体4年に一回は、小さな水害が起こってましたし・・
絹: はい。
植: 25年に一回は、1000戸以上の民家に、水が漬くといった、大水害を繰り返したわけですね。
絹: はい。
植: ですから水害は、しょっちゅう起こっていたんですけども、いざ、大手川沿いを歩いてみますとですね、堤防がないんですよね。
絹: 無いとこ有るんですか?
植: はじめは信じられませんでした。基本的には堤防無しです。
絹: はい。
植: 要するに、江戸時代、明治の初め頃から、全く川の姿は変わっていない・・手を付けていない訳です。
絹: じゃあ、今回の調査で・・というか、一昨年の調査で二つの、ほんとに好対照の川を、先生は発見されたというか・・・
植: 発見したというか、まさに事実ですね・・・
絹: 気づかれたんですね。
植: 大手川の下流には、約1万人の人が住んでる宮津市の中心部・・市街地があるわけですね。
絹: はい。
植: ところが、その背後にある川は、ほとんど、河川改修工事が・・ここ100年間以上行われていなかった。
絹: はい。
植: 「どうして、こんなに大きな町があるのに、堤防がないの?」って、初めは首をかしげましたですね。
絹: はい。
植: 「どうしてこんなに大きな町があるのに、川が自然のままなの?」って・・
細い川で、曲がりくねって、どう見ても水が沢山流れて、海へ出て行きそうにない。
排水不良になりそうな川の様子なのに、手が付けられていなかった・・・非常に不思議に思いました。
絹: あのぅ・・先生が不思議に思われた一方で・・・あえて言うんですけども・・・
曲がりくねった川は、環境論者だとか景観論者と言いますか、そう言う環境だとか景観を大事にされる方にとっては、有る意味では、日本の良い風景だな、と。大事にしたいな、って言う思いで残されていたのかも知れないですね、って自分でそれ、わざと言っているんですけどね。
実は私は、皆さんご存じのように建設屋です、地元の・・
ですから、災害の時に「災害出動」なんて言う声もかかるんです。
実際に破堤した後だとか、水漬いた宮津市の中に入って、やっぱりそれは・・・すざましいものが有ります。
先程も滝馬の話をいたしましたけれども、土石流だとか・・それから本当に・・・田んぼのところに、被害が少なくて、水が漬いただけであっても、後にものすごいゴミが残ったりです。
宮津市の市街地で、本当に・・泥の袋だとか濡れたタタミとか、山積みになってってと言うのなんかを見ておりますと・・・
うーん・・・すいません。
これこそ我田引水。ご批判があれば、どうぞ石つぶてを投げていただきたいんですけども・・・
あのぅ、「公共工事不要論」って言われて・・長いです。ですけど、必要なものもあるんちゃうかな?
宮津のように、大都市を背後に控えている大手川ですか・・・
「そこ、もう一寸手を入れといてよ」と言う、思いを・・建設屋は臍をかんだと思います。
植: そうですね。ですからねぇ、災害時調べましたら、川の・・堤防はない訳ですけど、大体1堤高と言いますか、高さが2.8メートルまで、何とか水を持ちこたえられたわけですね。
絹: はい。
植: ところが23号台風では、水位が3.8メートル迄来たわけです。
ですからもう、軽々と堤防を超えて、1メートル以上ですね・・水位が高いですから、もう破堤どころか・・・
絹: 越水というか・・
植: 川から、ほとんど水がそのまま流れ出してきて・・・
ですから宮津の低地は、全部海のように・・一面水漬きですね。
そして、酷いところは1.8メートルと言ったような・・人間の大人の身長まで、水が漬くと言った状況ですね・・・
絹: そうですね。
植: 悲惨な状況になりました。その時に私は思ったんですけど、「なぜ、この大手川。一万人も住んでいる町の川が、手付かずだったのか?」
で、これにはいろんな事情が有るでしょうけども、やはり大きかったのは、町の人達が、水害というのを真剣に考えて、川の改修を訴えて・・・あまり、こなかった。
或いは、地方行政として、河川改修や水害問題を、市の中心的な課題として取り組んでこなかった、と言うことが大きかったんじゃないかと思いますね。
絹: はい。
植: やっぱり、大都市ですから、川をめぐって様々な利害が対立すると思うんですね。
絹: はい。
植: 河川改修をすると、確かに景色は悪くなってしまう。或いは農民にとっては、水利の状況が全部変わってしまう。
それから、漁業の人達はどう考えるんでしょうか?
それぞれの方が、皆違う(笑)利害関係を持っているし、しかも一番大きいのは都市の人にとって、川への無関心・・災害への無関心。
まぁそれがやっぱり、川をちゃんと整備して、水害を防ごうと言う、市民の意思の一致点と言うんでしょうかね。コンセンサスが、川に向かなかった。
これが大きかったんじゃないでしょうか?
したがって、宮津の大手川流域には、「水害の防災文化」と言うものが育たなかった・・んではないでしょうかね。
絹: リスナーの皆さん、ここがポイントです。パンチラインはここだと、僕は思います。
さて、今先生は、京都府北部の流域の話をしてくださいました。
この電波は、京都市内に届いております
我が京都市民が大切に、大きな都市の中にあるけれども非常に美しい、鴨川という川をいただいております。
さて振り返って、鴨川については、一体どうなんでしょうか?
少しデータを紹介させていただきます。
歴史上、京都の鴨川では、799年以来140回の水害が記録されているそうです。
これを、ざっと平均しますと、8年から9年に一度の水害におそわれている計算になるそうです。このデータは、京都府の小泉治水総括室長さんの発言から学びました。
ところが・・ところが、最近ずっと鴨川は、大丈夫ですよね。
植: うん、うん。
絹: もう長いこと、鴨川が溢れたと言うこと、記憶が皆さん・・私自身もないです。
植: そうですね。鴨川が大氾濫したのは、昭和10年6月の「京都大水害」です。
絹: 私、生まれてません(笑)。
植: (笑)私ももちろん生まれてないんですけども、写真等を見ますと、大体鴨川から今の河原町通りまでのところは、ほぼ1メートルから1メートル50センチも水が漬いています。
絹: はい。
植: でもそれは鴨川から見れば幅、せいぜい二百メートルのかっての河原であって、鴨川の河原を人間が利用しているから、水が漬く。当たり前の論理ですよね。
絹: はい。
植: しかも鴨川の特色は、非常に川の勾配が急ですので、流れが速いです。
絹: はい。
植: ですから、水による被害としては、広い範囲に水が広がって浸水する、というよりは、川から近い沿岸地域に、すざましいエネルギーの水が、或いは流木が押し寄せてきて、橋を、道路を押し流す。
絹: はい。
植: 或いは民家もそれで潰れる。こういう被害が非常に多かったと思うんですね。
ですから、昭和10年の災害以後、かなり本格的な改修が行われて、現在まで何とか水害は免れてる。
絹: はい。
植: しかし23号の時は、もうあの写真でもご覧になったでしょうけども、三条大橋の橋桁のギリギリまで水が来ているわけですから、もう少し多くの水が、雨が降っておれば、ひょっとすれば鴨川も、溢れ出たかもしれない。
絹: はい。
植: それは、鴨川も桂川も、決して万全ではないと言うことの証だと思いますね。
ですから、これから桂川、鴨川と言う、京都の二大河川を、どのようにしていくのか?
災害に向けて、どうするべきかは、非常に重要な課題でしょうね。
絹: あのぅ・・・これはですねぇ、いたずらに不安を煽ってるつもりは、私はないんです。さっきの歴史的なデータのことと、それから先人達が河川改修を鴨川やいろんな川・・桂川についてがんばって、なさってきた。それには我が業界の先輩達も、お仕事として参加しているわけです。
そのおかげでと言いますか、幸い私の子供の頃から今まで、鴨川や桂川が溢れることはなかったけれども、「もうギリギリのところまでは来ているよ」と言うのが、先生を含めた専門家のご意見のようであります。
行政の方も、そう言う・・前回の大雨の・・・例えば1.2倍の雨量、或いは台風23号の時の総雨量が、山の分水陵を超えて、こっち側に来たらどうなっていたのか?とか言うようなシミュレーションをチェックされています。
「その時は保証の限りではない」と言うことの発言も・・・
私は行政の方は、非常に勇気があったと思いますけれども、建設省(国土交通省)の方も京都府の方も、実は桂川、嵐山周辺でも、かなりの範囲に水が漬くと。
鴨川も・・どの辺まででしょうね・・幅200メートルぐらいまでは来るよ、と。
特に三条大橋・・松原辺りが、鴨川としてはネックだろう、と言うようなことが言われていますね。
植: ですから京都の場合の問題はですね、古くから、火事が非常に頻発した訳ですから、京都としては、町民と町衆達が火事にいかに備えるか、については、非常にノウハウを蓄積し、文化も出てきた。防火の文化はある。
しかし、鴨川、桂川の水害に対しては、それほどこれまで、真面目な取り組みは少なかった。文化としては、まだ育っていませんねぇ。
だからいかにして、これから京都の水に対する関心、或いは水害に対する意識をどう高めるか、って言うのは非常に大きな問題ですねぇ。
絹: さて先生、そこで。今先生がおしゃった、水に対する、或いは川に対する、防災に対する意識を、我々京都市民がより身近に感じていくためには、具体的にどういう風な方向を見ていけばよろしいでしょうか?
植: そうですね。やはり、京都でもすでに、ハザードマップという、「どこが、どの程度危険なのか」と言うような地図は、既に公表されているわけですから・・・
絹: はい。
植: これは簡単に見ることが出来ます。まさに「状況を把握する」。これが一つですね。
絹: はい。
植: もう一つは、やっぱり災害は繰り返して起こりますので、これまでどんな歴史災害が起こってきたか。どこに大きな被害が有ったか、と言わば「歴史に学ぶこと」。これが二番目でしょうね。
絹: 「歴史に学べ」
植: はい。
絹: 「ハザードマップを勉強しろ」
植: はい。三番目はやっぱり、子供の頃から災害について教え学ぶ、学校、地域、博物館で。
こういったいろんな情報で学び、そして、水の価値と共に
「水の恐ろしさを日頃から意識しておくこと」。こういう事じゃないでしょうかね。
絹: みなさん、「川に目を向けろ」と言う、植村先生の教えであります。
さて、後三分弱になってしまいました。
そろそろまとめに入ります。
脅かすわけではありませんけれども、防災と言うことも考えなければならない時代になったようであります。
もう一度数字を紹介いたします。
「時間雨量30ミリを超えると・・・或いは総雨量200ミリを超えると、災害が発生するおそれがあるよと言うことを覚えておきなさいよ」、と言うことを植村先生から学びました。
そして「ハザードマップというものを学べ」と。
それから、「川に気を向けろ」と・・・或いは「川で遊べ」と、子供の時から。
「川を掃除しよう」と・・・それでも良いと思います。
川は決して、遠いものではなくって、我々の近くに有るものです。
優しい川でもあります。癒してくれる川でもあります。牙をむく川でもある。
そのことを是非、ご記憶願いたい。
そしてハザードマップの学び方等ですけれども・・・例えばですね、京都府では、防災・・・さっきの小泉さんはどこの方でしたっけ?
治水総括室長と言う・・・小泉さんと言う方がおられます。そう言う部署があります。

京都府は、出前勉強会というのを請求すれば、どこへでも行ってくださいます。
建設省(国土交通省)の事務所長も「自治会などに呼ばれたら、いつでもそう言う話をしに行く」と・・・
「ハザードマップのシミュレーションをもって出かけていく」とおっしゃってます。

是非こういう方々、或いは植村先生に声をかけて、コミュニティの「自助・共助・公助」・・・共に助け合うという防災力を付けていきたいですね。
と言うことで、今日は、仏教大学の植村先生、ゲストコメンテーターに来ていただきました。

さて、今日のお話いかがだったでしょうか。
この番組では、これからも元気な“まちづくり人”の紹介や、地元“まちづくり”の・・京都のまちづくりの最前線をお送りしていきたいと思います。
この番組は、「心を建てる」公成建設の協力でお送りいたしました。
そして皆さん、今までの番組のデータが、我が社のホームページで、音声データ、テキストデータがありますので、是非アクセスしてみてください。

それでは先生、どうもありがとうございました。
植: どうもありがとうございました。
絹: 又お耳にかかります。失礼いたします。
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