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放送日 平成21年12月12日(mp3形式音声ファイルはこちら→)
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 放送内容は、著作権の保護を受けますので、個人でお聞きになる以外のご利用は出来ません。
ちょびっと
テーマ: 「救える命を救う」
概 要: 「自死遺児ケアに取り組むリヴオン(Live on)代表、尾角光美(おかくてるみ)さんをお招きし、毎年全国で3万人を超える自殺者のことから、“生きる”と言うことを考えました。」
出演者:
尾:尾角 光美(おかくてるみ)氏  リヴオン(Live on)代表
絹:絹川 雅則   (公成建設株式会社)
ちょびっと
 放送内容については、無断使用を禁止させていただきます。この件についてのご連絡はこちらまで。
絹: “まちづくり”チョビット推進室!
Give me thirty minutes,I will show you the frontline of “まちづくり” and “まちづくり” people in KYOTO.
************************************************************************
絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た京都の元気なまちづくり人の紹介や、その活動の最前線をご紹介しております。
この番組は、『心を建てる』公成建設の協力と京都府地域力再生プロジェクト、そして京都市景観・まちづくりセンターの応援でお送り致しております。
いつものように番組は、当まちづくりチョビット推進室室長 絹川がお送り致します。

●母の自殺をきっかけに
絹: さて、本日のゲストは、尾角光美(おかくてるみ)さんです。
尾角さんがまとめられました“102年目の母の日”という冊子が手元にございます。
そこの尾角さんの紹介を、部分的に読んでもいいですか。
尾: はい、お願いします。
絹:
1983年、大阪生まれ。
東京で育ち、現在も同志社大学の学生さんです。
残念なことに、2003年にお母様を自殺により亡くされました。
そして2004年から“あしなが育英会”を通じて親御さんを亡くされた遺児のケアや支援を行う活動をされています。
2007年NPO法人ライフリンクと、行政による“自死遺族支援全国キャラバン”のシンポジウムに参加、中学高校での“命の授業”にも取り組まれています。
この“101年目の母の日・今伝えたい思い”という本や、その二冊目になる“102年目の母の日”という文集の企画発起人であられます。
2009年の2月には、生き続けるという意味の“リヴオン”の代表を務めておられます、尾角光美さんです。
よろしくお願いいたします。
尾: はい、よろしくお願いいたします。
絹: 今日の番組のテーマですけれども、尾角さんと相談して、今日の一番大事なキイワード、タイトル「救える命を救う」ということに決めました。
それでは尾角さんとお話を始めていきますけれども、尾角さんと私の出会いは、ごく最近なんです。
京都の若者たちの間で、非常に面白いイベントが、つい最近、立命館の朱雀キャンパスでありました。
“ぺちゃくちゃナイト&ワールドカフェ”という、とんでもない集まりだったんですが、そこでプレゼンをされたんですね、尾角さん。
そこで『わ、すごい人がいる』ということに気がついて、ゲストにお越し頂きました。
それではそろそろ尾角さんからお話、「救える命を救う」とはどんなことなんですか?
あるいは、エピソード1、2を始めましょうか。

●3万人という数字を聞いて、何を思い浮かべますか?
尾: みなさん、3万人という数字を聞いて何を思い浮かべますか?
東京マラソンの参加者数は3万人です。
それと同じ、毎年毎年日本で、11年連続で、3万人の人が亡くなっています。
私の母親も今から約7年前に自殺で亡くなりました。
『自殺?そんな重いテーマはいいよ。聞きたくないよ。』とか『私には関係ない』と、そう思ってらっしゃる方もきっといると思うんです。
でも私は今日、「そんなことはないんです」ということと、「自殺を考える事って、生きることを考える事なんですよ」ということを、メッセージとして伝えられたらと、ここに座らせていただいてます。
絹: そうなんです。
実はわたし、正直に申します。ためらいがありました。
重たすぎるテーマかもしれない、それからこの番組の名前が「まちづくりチョビット推進室」じゃないですか?
で、僕は地元の建設屋じゃないですか?
『なんでまちづくりと「救える命を救う」が絡むのだろう』と悩み続けていたんですけど、でも尾角さんと会えたおかげで知った3万人という数字、もう一回『なんとかしたいな』という気持ちがわいてきたので、ちょっと勇気を出して来て頂きました。
多いですね、3万人。
尾: そうですね。
今年、2009年も師走に入って、皆さんバタバタとしていると思うんですけど、今年から警察庁が、自殺者数を毎月、発表するようになったんです。
先々月までのデータで、もう過去最悪のペースで増えていて、今年は過去最高の人数が出るのではないかと言われている状況なんです。
絹: 尾角さんのプレゼンで、東京都庁前のマラソンランナー、あのすごい列が一瞬にして消える、あれがちょうど3万人だよという、プレゼンの資料があったじゃないですか。
あれはショックでしたね。

尾: そうですね。
でも、本当に3万という数字でくくれないくらいに一つひとつが重くて、その一人ひとりには皆さん、聞いていらっしゃる方と一緒で、お子さんや、お父さんやお母さんといった大事な人がいて、今この瞬間にも、その大事な人を亡くしてという人が生まれているんです。
だから3万という数字では語り尽くせないくらいの、悲しみや痛みが、毎日この同じ日本で、同じ街で暮らしている人たちの中に生まれているというのは、すごく大事なことだと思うんですね。
絹: そうですねえ。
交通情報とか、ラジオとか、テレビでね、「人身事故のために列車が遅れます」って、言うじゃないですか。
あれを聞く度に、違和感としんどさって言うんでしょうか・・・『人身事故って、飛び込みだよな、きっと』と思いながら、そうじゃないケースもあるかもしれないけれども、なんとなくそういう風に聞いてしまいますね。
尾: そうですねえ。

●鬱病の母親とともに生きて
絹: さて、“リヴオン”、どの話を聞かせて頂きましょうか。
尾角さんがここしばらくなさってきたことを、お聞かせ下さい。
尾: はい、わかりました。
じゃあ、簡単に私の自己紹介、自分史をお話しして、それから活動の話をしたいと思います。
私は先ほどお話し頂いた通り、1983年に大阪で生まれて、お父さんとお母さんとお兄ちゃんとおばあちゃんと5人で暮らしてたんです。
で、父親の転勤で東京に引っ越して、関西から東京に引っ越すと、やっぱりお母さんもすごく合わなくて、すごい苦しんで、それで介護していてしんどくて、鬱病になってしまったんですね。
絹: おじいさんの介護でしたっけ。
尾: それは知人の介護をしてたんですけど。
それでその後に、母方のお母さんも亡くなって、母親は度重なる健康の喪失と、自分の母親の喪失を経験して、最後、バブルがはじける寸前に、事業をしていた父親の事業が失敗するんです。
それでその後も鬱病をずっと患って、父親とは離婚して母親一人で私を育ててくれるんです。
もう本当に一人で必死に働いていたんですが、でもやっぱり鬱病なので気分に波がある。
もう昨日と今日のお母さんの顔が違う。
昨日母親が観音さまのような顔で「光美ちゃん、光美ちゃん」と言っていたのが、翌日には「あんたなんか生まれてこんかったらよかったのに」という、そういうような中で一緒に生きていたんです。
その後父親がまたうちに戻ってきて、「お金を何千万も使ったから償うよ」と言って、一緒に暮らし始めるんですが、結局また今度は失業者数が最大だった2000年代にまた失敗をして借金を抱えて出て行くんです。
その時からお母さんの「死にたい」というのが始まったんです。
ずっと「死にたい」「死にたい」というのが続いていて、私は大学受験の浪人生だったので、もう家にいるのが嫌で、でも「死にたい」と言われたら、何か自分ができることがあるんじゃないかとか、例えば「せめて成人まで生きててほしい」とか「大学卒業するまで」「結婚するまで」「出産するまで」と、そうやってお母さんに「生きていて」ということを伝えられたらと思って、ずっと頑張ってきたんですが、やっぱり家族が支え続けることにも限界があった。
私の母は3月のある日、私が大学に入る10日ほど前に、夜中に「出て行きたい」と言われて、寒い日だったので、『これはお母さん、出て行ったら死んじゃうな』と思ったんですけど、やっぱりしんどくって、『もうこのお母さんを支えきれない』と思って、家を出させてしまったんです。
飛び出して行って・・・それで母は外で亡くなって発見されたんですけど、私はその自殺のことを、受け止めきれなかったわけではなくて、すごく自然なことで、母は亡くなるしかなくて・・・・でも私自身は『あれもできたかも』『これもできたかも』と、すごく思ったんです。
で、『個人的な問題だ』と、その時は私も思っていたんです。
母親と私と私たち家族の問題だと・・・・。

●命を守る法律の制定をきっかけに
尾:
そこから活動の話になっていくんですけど、“あしなが育英会”という、親を亡くした子どもを支援する団体で、心のケアの活動をしてたんです。
あと奨学金支援のために、街頭で「あしなが学生募金にご協力、よろしくお願いしまーす!」と、でっかい声で叫んでお金集めをしたりとか、そうやって活動していたんですけど、ある時「自殺の法律がもうすぐつくられるらしいよ」という話になって・・・それっていうのは2006年の話なんですけど、元をたどると2000年とか2001年に“あしなが”の私たちの先輩たちが“自殺と言えなかった”という本を出版したんです。
それでNHKの取材が来たりしていました。
本当に偏見の目で見られないだろうかという怖い思いをいっぱい抱えながら、私たちの先輩たちは勇気を出して、社会に向かって「自殺者3万人のこの日本を見て下さい・・・生きたい人が生きられない社会を見て下さい」とメッセージを発信して、「自殺者を減らしましょう。これは社会の問題です」と一生懸命訴えたんです。
それが法律ができる原点でした。
その“あしなが”の大先輩である交通遺児の支援をしていた山本孝史さんという元国会議員の方(3年前:2007年に癌で亡くなられたんですが)が、超党派で議員連盟をつくって、“自殺対策基本法”と“癌対策基本法”という、「命を守る法律をこの国につくろう」と言って、制定までこぎ着けたんですね。
絹: ああ、そうだったんですか。

●コミュニティに力があったら
尾: そこからが私の活動の大きな変わり目で、“自殺対策”“自殺予防”それから“自死遺族支援”(自殺で家族をなくした人の支援)のために、各地で講演活動を始めました。
で、その時に自分の事を、先ほどのように話してたんですけど、『別にこんな個人的な話をしてもなぁ』と、どこかで思っていたんです。
お母さんは鬱病だったし、私と家族が支えきれなかっただけの話だと思っていたんです。
でもやっぱりこの社会って、生きやすいか生きにくいかと言うと、生きにくい人たちはいっぱいいるし、『生きづらい』と思った時に、「助けてよ」と手を伸ばせるような社会なのかどうか・・・。
隣近所に知り合いもいなければ・・・私の母親は団地だったけれども、辛いときに「助けて」って言えない、それが普通だったので・・・。
もし本当にコミュニティに元気があって、顔を見た時に『あ、ちょっと暗そうだな』と思えば「なんかあった?」と声を掛け合えるとか、「最近食べれてないの・・・」と言えば「うちに来て食べんしゃい」とかいうようなコミュニティがあったら違ったのかも知れないと・・・。
やはりこの社会が持っている可能性を、すごく感じられたんです。
逆に自分の母が亡くなった時に、何が足りなかったのかということを見た時に・・・。
それで『私の経験している事というのは、やはりこの社会の生き心地とか、生きる支えみたいなものを見つめていく活動でもあるんだな』と思って、そこからは本当に変わっていったんです。
自分の体験への見方が。
絹: すごいなあ。
身内話と言いますか、つらい話で、従来の常識で言うと、やっぱりタブーに属する話で、『カウンセリングルームの中で、カウンセラーにならするけど、会社ではしないよ』とか『学校ではしないよ』とかいうのが・・・・たぶん生きにくい社会のもつ空気なのかも知れないですね。
尾: そうですねえ。
絹: そんなすごい先輩方がおられて、もう亡くなられたけれども山本孝史さんという国会議員の方がおられて、命を守る法律、癌と交通と・・・。


尾: 癌と自殺です。
交通事故はもっと早くできているので。
絹: そういう先輩たちの流れをくんで尾角さんがこうやって色々講演されたり、本を出されたりしている事が、ひょっとしたら僕みたいな、普段仕事のことしか興味ないようなおっちゃんが、自殺者数連続3万人という話を聞いて、頭の隅っこのほうにひっかかっていて、棘のように抜けなくて、『気になるなあ』と思い続けるようになったのも・・・・
ひょっとしたらそういう先輩たちの動きの影響かもしれませんね。
尾: そうですねえ。

●“生きる支援”とまちづくりと
絹: “生き心地”、“生きやすさ”、“生きる支援”、さっき辛い時に「どう?」とか「ご飯食べてる?」とかっていう、団地にコミュニティの力があったら、少し違ったかもというお話をされたじゃないですか。
これって、僕がこだわり続けているまちづくりだとか、コミュニティの力をなんとかキープしたり、コミュニティが崩壊しないような建築ってないのかなというテーマとかぶるような気がしているんです。
で、この番組のゲストでも、精神病院の婦長さんで卒業された方、丹羽國子先生という名古屋の方ですけれども、それから京都市のOBで水無瀬文子さんという方、保健師さんをされていたんですが、それぞれご自宅を開放されたり、あるいは退職金を使って、“まちの居場所”、“まちの縁側”というのを京都と名古屋につくっていらっしゃるんです。
そこは朝の10時から夕方の16時まで「誰が来てもいいよ。いつも開いているよ」と。
丹羽先生のところなんか、鍵まで町内会長にあずけて「好きに使って」と。
「当番がいなくても、お茶を飲んで話していったらいいよ」とか、お年寄りが一人で寂しくご飯を食べていたら「集まってみんなで、木曜日の昼ご飯はコンビニのお弁当でいいから、持っておいでよ」とか言って、おみそ汁を作って「一緒に食べよ」みたいなことをしたり、身体障害者だとか精神障害者の人たちも、なぜかふらっとやってきて、静かに部屋の隅にいて、また帰る。
子どもは夏暑いし、「クーラーがきいている所で、宿題させて」と寄ってくるとか、バザーをやったり、落語会をやったり、居所をつくろうとしている人が三々五々あちこちに出ているんです。

●お寺のこころみ
尾: すごく大事なことですよね。
京都の西本願寺で講演をしたことがあるんですけど、西本願寺さんは、自殺についてお寺の調査をしたんです。
お寺でどれだけやっていますかみたいな。
殆ど何もしていなかったという結果が出たんですけど、でも中には『やりたいけどできない』と思っている人が多くて、『ハードルが高いんじゃないか』と・・・。
やっている人はじゃあ何をやっているかと言うと、結構意外とささやかな事だけど、大事な事をやっていて・・・・。
夜、人って、しんどくなるじゃないですか。
お寺の本堂のところのドアをちょこっと開けておいて、小さな灯りを点けておくと。夜中しんどくなった人が、さまよっていて、そこに来るらしいんですね。
それで来た時にはお坊さんが話を聞いてあげると。
ほんとに何かこう居場所というか、『私はここにいていいんですね』『ここで話を聞いてもらえる』『自分を受け止めてもらえる』という所が、いつも開いているというのは、すごく大事なことだなと思いますね。
絹: それを聞いて、何かホッとしますね。
お坊さんて、偉いんだって、思いましたね。
尾: そうですね。まあ、お坊さんも色々なんですよね(笑)。

●しんどい時に、いてもいい場所
絹: キリスト教の教会は24時間開いていて、僕、学生時代は神戸の方にいたので、教会へ入り込んで、座っていたこともありましたけれども。
別にお祈りしなくても、懺悔しなくても、教会の本堂というのかな、あの辺の木の椅子に座っていてもいいよみたいな雰囲気があるじゃないですか。
で、やっぱり京都のお寺にも心あるお坊さんがいて、本堂の扉を少し開けて、灯りを点けておかれるんですね。
おそるべしというか、さすがやな。
尾: やっぱり場所を求めてますよね。
しんどい時にいていい場所。
絹: 居場所、大事なことですね。
尾: 「救える命を救う」というのが、今日のタイトルじゃないですか。
それを言うと、たぶんデカイ事のような気がしちゃうと思うんですよ。
でも本当はそうじゃなくて、人が求めているのは、例えば美味しいご飯をちょっとしゃべりながら食べれる相手とか、しんどい時に「しんどいよお」とこぼせることとか、すごくささやかな所に人は救われていくと思うんです。
そういうのを積み重ねる上で救われていく。
でも逆に喪失体験が重なっていくことで、人は誰でも死にたくなっていくし、だからと言って死にたい人に対して私たちは無力ではなくて、小さな事の積み重ねで救われる命があるかもしれない。
人は白か黒かでものを見たいかもしれないけれども、本当はグラデーションの世界を私たちは生きているということを・・・すごく今浮かびましたね、話をしながら。

●人はグラデーションのなかで生きている
絹: いい言葉ですね。
プラスマイナス、黒か白かどっちか、イエスかノーかじゃなくて、グラデーションで物事は成り立っている。
小さな喪失体験が重なると大きくなってしまうけれども、そこで何か小さな救いが、居場所があると、そこへ繋がらないかもしれない。
自殺対策、3万人をどうしたらと、すごく大上段に構えてしまって、『僕は命の電話の訓練を受けてないし、夜中に電話の前に座るのは怖いし、きっと僕にはできないわ』みたいなふうに、思ってしまうじゃないですか?普通は。
でも尾角理論によるとそうじゃないんだよね(笑)。
尾: もちろん専門的なケアが必要な人、専門的なアドバイス、法律問題とかお金の問題とかは、必要な所へ行かないと得られないかもしれないけれども、たぶん日常の中での必要な支えに関しては、私たちもできることがあるというのが大事なことだと思いますね。

●“まちの縁側”が増えている
絹: そういう意味で、私が尾角さんの話から連想した“まちの縁側”だとか“まちの居場所”、自分の居場所づくりに奔走しているおばちゃんたち(なぜかおばちゃんたちなんですけど)が多い、増えつつあるというのは、すごく良いことだと。
そして京都のすごいお坊さんの話、本堂をすこし開けて灯りを点けておく、人は夜しんどくなるだろうから・・・・すごい話ですね。
そういうお坊さんがどんどん増えるといいし、それからまちのおばちゃんたちで、居場所をオープンに開いてくれる人が増えるといいなぁと。

●“まちの縁側”ネットワーク
絹: 実は数年前に“まちの縁側”という言葉に出会って、追いかけているんです。
僕、外回りが多いですから、仕事のついでに新しい縁側を見つけたら、入り込んでお話を聞いたり、縁側同士が緩やかなネットワークが築けたらいいねとか、去年の二月の寒い日には、まちづくりセンターに150人くらい集まって、“縁側シンポジウム”って、やったことがあるんです。
既に発進している先達だけじゃなくて、「わたしもいつかやってみたい」という人が福井から来たり、“縁側”だとか“居場所”だとか、新潟でも“まちの茶の間”とかいう名前でなさっている方がおられたりして、なにか全国的にそういう場所に対する思いというのが、みんなの中に高まっているような気がするんです。
そういうのが、『死にたい』から『生きたい』へというか、生きやすい、生き心地、生きる支援ということへと繋がっていけばよいと思います。
そういうところは、来る人拒まず、去る人追わずで、誰でもいいよみたいな感じですからね。

そろそろまとめに入らなければならないのですが、自分の中では、尾角さんになぜ来て貰ったのだろうという疑問が、ストンとお腹に落ちました。

“救える命を救う”というこのシンポジウムがあるそうです。
そちらをちょっと告知して下さい。

●“救える命を救う”シンポジウムの告知です
尾: ありがとうございます。
もうあと一週間ちょっとなんですが、(平成21年)12月22日の火曜日、夜の7時から大阪の天満橋にあるドーンセンター、特別会議室で“救える命を救う・故山本孝史さんの遺志をつなぐ”というタイトルで講演会を行います。
この12月22日はその命を掛けて、自らが癌だったことを国会で答弁しながら、それでも命を守る法律をつくろうと言って動いていた私たちの大先輩、山本孝史さんが亡くなった日です。
その三回忌を期に、自殺で親を亡くした私たちの後輩たちでその“命を守ろう”というメッセージを社会全体で共有していきましょうというような会をやりたいということで、今回イベントを開くことになりました。
お時間がある方は、12月22日の火曜日、7時から、大阪まで足を運んでいただけたらうれしいです。

●“ふれあいの居場所サミット イン京都”開催を予定しています
絹: はい、尾角さん、ありがとうございました。
そして私からも一つ告知をします。
“ふれあいの居場所サミット イン京都”。
これは東京の“さわやか福祉財団”が企てている、まちの居場所、僕の言葉で言うと“まちの縁側”に、興味のある人、やっている人、やりたい人が集まってシンポジウムをしませんか、語り合いませんかという企画があります。
来年(平成22年)の3月13日土曜日、13時30分から18時30分の予定です。
まだ骨格がかたまっただけです。
岡崎のみやこめっせのたぶん地下であります。
もし居場所、居所、そういうことに興味がある、“まちの縁側”に興味のある人は覚えておいてください。
またご案内をいたします。

さて、皆様いかがだったでしょうか。
今日はちょっと重たい話題だったかもしれません。
心配していましたけれども、でもなんのことはない、やっぱり“救える命を救う”というキイワードは“まちの縁側”やまちづくりに関わっておりました。
ということで、尾角さんありがとうございました。
尾: ありがとうございました。
絹: この番組は『心を建てる』公成建設の協力でお送り致しました。
ありがとうございました。
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